2011年1月12日水曜日

修身書巻五第一課「我が國」

昔天照大神は御孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をお降しになって、此の國を治めさせられました。
その御曾孫(そうそん)が神武天皇であらせられます。天皇以來(いらい)御子孫がひきつゞいて皇位におつきになりました。
神武天皇の御即位の年から今日まで二千五百八十餘年になります。此の間、我が國は皇室を中心として、全國が一つの大きな家族(かぞく)のやうになつて榮えて來ました。
御代々の天皇は我等臣民を子のやうにおいつくしみになり、我等臣民は祖先以來、天皇を親のやうにしたひ奉つて、忠君愛國の道に尽くしました。
世界に國は多うございますが、我が大日本帝國のやうに、萬世一系(ばんせいいっけい)の天皇をいたゞき、皇室と國民が一體になつてゐる國は外にございません。』
我等はかやうなありがたい國に生まれ、かやうな尊い皇室をいたゞいてゐて、又かやうな美風をのこした臣民の子孫でございますから、あつぱれよい日本人となつて我が帝国のために尽さなければなりません。

(読みやすいように改行を入れていますが、原本では改行がありません)


ちなみにこの修身書は第三期と言われるときのもので、大正七年(1918年)の改訂版です。
第一期のこの巻の第一課は「天皇陛下」、第二期は「大日本帝國」となっており、内容はそれぞれ次のようになっていました。第二期は第三期の内容と似ています。

第一期 「天皇陛下」

明治二十七、八年戦役の時、天皇陛下は、八ヶ月の間、広島にあらせられて、戦の御指図をあそばされたり。
この時の御座所は粗末なる西洋作りの一間のみなれば、あまりに、ご不自由なるべしとて、宮内省よりも、内閣よりも、御建て増しのことを、たびたび、申し上げしが、陛下は「今日の場合、これほどの不自由、何かあらん。」と仰せられて、御許しあらせられざりき。
また、早朝より御寝なるまで、御軍服を脱がせ給わず、御指図をあそばされ、その御いそがわしさは、まことに、おそれ多きことなりき。
天皇陛下は、かかる御不自由を忍ばせたまいて、御勉強あらせられ、ひたすら、国威の盛んならんことをはかりたまえり。
我等臣民たる者、謹んで、その御徳の高きを仰ぎ奉るべきなり。

第二期 「大日本帝國」

昔天照大神、ニニギノミコトを降ろしてこの国を治めしめ給えり。
尊の御曾孫は神武天皇にまします。
天皇御即位の年より今日に至るまで二千五百七十余年にして、御子孫世々相次ぎて天皇の御位に登らせ給えり。
世界に国は多けれども、我が大日本帝国の如く万世一系の天皇をいただくものは他に存せざるなり。
また御代々の天皇は臣民を子の如く愛し給い、我等の祖先は皆皇室を尊びて忠君愛国の道をつくせり。
我等はかかるありがたき国に生まれ、かかる尊き皇室をいただき、またかかる美風をのこせる臣民の子孫なれば、天晴れ良き日本人となりて我が帝国のためにつくさざるべからず。


どうでしょうか。とても凛とした文章だと思いませんか?
大東亜戦争の直後に、この修身書は教育勅語と共に廃止されましたが、ご先祖様からの命を受け継いで今の私たちがあるように国の歴史も連続しています。
日本の国の成り立ちや特徴を簡潔に記述しているように思います。現代ではこのような内容が学校では教えられることはほとんどなく、大人になってから自主的に調べて知るというのが現実です。
自分が生まれた国がどんな国なのかを知らないで大人になるというのは、なんとも不思議なことのように思います。


尋常小学修身書―復刻版合本 巻1より巻6まで (1974年) (浪漫文庫) 文部省
http://t.co/mgACXnF

2 件のコメント:

不動明王 さんのコメント...

ほんの一握りの私立で行われてると思いますが、全く行われていないといっても過言ではありませんね。
個人人権が最高と謳う占領憲法のもとでは、国家の尊厳も何もあったものではありませんね。
我が國の建国の理想を理解せずに、生きてもなんの甲斐あり哉ですね。

Love Nippon さんのコメント...

不動明王さん

こういう根っこの部分を知らせずに教育しても、根無し草になってしまいますね。
現代の道徳教育は戦後の教育基本法がベースで、つまり占領政策がベースにあるわけですから、そもそも日本人の教育ではないんですよね。
日本人を飼育する教育ですね。