2011年1月17日月曜日

善意の連鎖、日本とポーランド

日本の文化・伝統・歴史防衛講座

善意の連鎖、日本とポーランド

今から91年前の大正8年のことです。
ロシアの国で革命が起こりロシアに占領されていたポーランド
という国は独立することができました。
このとき、ロシアのシベリアという寒い地方に十数万人の
ポーランド人が取り残されていました。
その中には親を失った孤児がいました。
この孤児達をどうやって祖国へ帰すか?
アンナ・ビエルキエデヴィッチさんが会長をつとめる「ポーランド
救済委員会」は欧米諸国に孤児達の輸送と援助を要請しました。
しかし、混乱と緊張の世界情勢の中、諸国の反応は冷たいものでした。
そんなとき、救済委員会の一人が日本はどうだろうか、と言いだし、
日露戦争のとき、日本が捕虜を大切に扱った話やポーランドの軍隊が
破れて立ち往生していた兵隊を日本が祖国まで送り届けた話が出て
日本に支援を頼むことにしました。
 
会長のアンナ・ビエルキエデヴィッチさんは日本へ向かい外務省に
孤児の窮状を訴えました。
外務省は即座に日本赤十字に孤児の救済を依頼します。
そしてシベリアに出兵していた日本軍が孤児を救出し、大正9年7月下旬
56人の孤児を乗せた第一陣がロシア港から敦賀経由で東京に着き、
その後も数回にわたり765人の孤児が救出されたのです。

ポーランド人の孤児達はひどい栄養失調でしたが、日本赤十字社で治療をうけ
回復していきました。
日本国民から寄付やおもちゃや人形、お菓子など子供が喜びそうな品々を
贈る人が後を絶たず、歯の治療や理髪、音楽団の演奏などボランティアを申し出る
人が相次いだといいます。
このとき皇后陛下(貞明皇后・ていめいこうごう)行啓されており、孤児達の
ひとりの少女は後にこう述べています。
「どんなに優しくされても心細くてたまらなかった時、孤児収容所を訪問された
貞明皇后に抱きしめてもらったことが今でも忘れられない」。
この御、孤児たちは祖国のポーランドに無事、送り届けられました。

(月刊「みんなのうけひのもり12月号」
太郎先生の「大好き!ニッポン」講座より一部抜粋)



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