2011年2月28日月曜日

先入観と偏見

「生き方を変え、免疫力を高める生活で、どんな病気もすぐ治る!」
これは、免疫学の権威である新潟大学教授、安保徹先生の言葉です。
つまり、ガンをはじめとするほとんどの病気は、誰もが持っている免疫力を高めることで予防できるし、治すこともできるのだというわけです。

安保先生によると、新聞テレビで毎日のようにあらゆる有害物質について報道されていますが、その中で、例えば、たばこと肺がんの因果関係について、近年、喫煙率がどんどん低下しているにもかかわらず、肺がんの死亡率はどんどん高くなっている。
つまり、たばこが肺がんの原因になっているというのはイマジネーションであって、誰もその関係を証明していない、と指摘します。
このように、メディアの報道を一方的に聞かされていると、知らない間に間違った情報が私達の基準としてインプットされ、簡単に自分で治せる病気であっても、治るどころか、一層、悪化させてしまう原因になりかねないことがあるわけです。
これが先入観そして偏見の怖い所です。

(途中省略)

ガンの治療を例にとっても、手術はダメ、抗がん剤もダメ、放射線治療などもってのほか!
と言われると、今日、当然の標準治療法だと思っているガン患者からすると、びっくりするのも事実です。
ですが、人というものは、生きている期間が長ければ長いほど、知らず知らずの間に、先入観や偏見によって、自分勝手な標準、基準を作り出していることに驚かされることがあります。ですが、実際安保理論を実践してガンを克服している患者が多数存在する事実と、さまざまな難病を抱えておられ、現代の治療法から見放されてしまった病気さえ治療されておられる方がいるという事実をかえりみて、私達は今、当然だと思っていることが、もしかしたら先入観であったり、偏見であったりすることがあるかもしれない、という観点を自覚することが、今、社会が、そして国が抱える様々な諸問題の解決のヒントを与えてくれるのかもしれません。

「月刊みんなのうけひのもり2月号」の【医食同源】より一部抜粋

続き、詳しくは「月刊みんなのうけひのもり」で読めます♪
御購読はこちらからできます。

2011年2月24日木曜日

読書録―シュリーマン旅行記 清国、日本

冬の休日はベッドに潜って読書が楽しいですが、だんだん暖かくなってきましたね。

今日の一冊はこれ。

シュリーマン旅行記 清国・日本

トロイア遺跡、ミケナイ遺跡を発掘したことで有名なシュリーマン、彼が幕末の日本に来ていたことをご存知でしょうか。
その手記が本書。日本語にして200ページほどなのですが、3分の1を清国に、3分の2を日本に割いているあたりに彼の日本への興味がうかがい知れます。

まず、彼が驚いたのは船頭の格好。
全ての描写が事細かくてとても面白いのです。

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彼らが身につけているものといったら一本の細い下帯だけで、そもそも服を着る気があるのかどうか、怪しまれるくらいだ。しかし、彼らはからだじゅう、首から膝まで、赤や青で、龍や虎、獅子、それに男女の神々を巧みに刺青しており、さながらジュリアス・シーザーがブルトン人(古代イギリス人)について語ったところを彷彿とさせる。すなわち『彼らは衣服こそまとっていなかったが、少なくとも見事に(からだを)彩色している』。
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船頭の労賃は四天保銭(13スー)。清国だったらその4倍は吹っ掛けられていたとか。
税関も賄賂を受け取ろうとせず、と武士道が行き届いていた模様。

彼が初めに何より驚いたのは日本の住宅。
押し並べて清潔で簡素だったのだそう。

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”ござ”(畳)は長椅子やテーブル、ベッド、マットレス__おそらく日本人がその存在も使用法も知らないんのの代わりに使われている。実際日本には家具の類が一切ない。せいぜい部屋の片隅に、長さ1メートル、幅、高さともに60センチのコンロ(長火鉢か?)に似た持ち運びのできる小さな竈があるくらいのものだが、家族の質素な食事を用意するにはそれで充分間に合う。
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また、園芸が好きで、いつも外を綺麗にしているともありました。
おそらく庶民だか長屋の暮らしを描写したものでしょう。

シュリーマンはこのような生活を見て気付くのです。
彼が一番だと思っている、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであると。

日本人は昔から、省エネ生活をしていたのですね。

私も読みながら、無駄の多い生活をしているなあと反省しました。

この本は他にも学ぶことが沢山あるので是非どうぞ。

2011年2月23日水曜日

フランクフルト学派

本日の投稿は、JJ太郎様のブログ「かつて日本は美しかった」より転載させて頂きます。
                                  (本記事:フランクフルト学派 2009-10-23


 フランクフルト学派は西欧マルクス主義、知識人向けのマルクス主義といわれ、1923年ドイツのフランクフルト大学内に設立された「社会研究所」が起点となっています。初代所長はマルクス主義者のカール・グリュンベルクで、彼の死によって1930年にホルクハイマーが所長として指導的な立場につきます。


 フランクフルト学派はロシア革命後にヨーロッパ革命が敗北していき、プロレタリアートが革命の主体となっていない現実をみて、古いマルクス・レーニン主義は自覚しないままに権力奪取に成功してしまった。革命意識に鋭く目覚めた一団の「前衛」たちが文化破壊の状況のロシアを突破して革命に成功した。人間を疎外している文化を破壊しなければ共産主義に到達できない。革命の主導者は阻害された労働者ではなく、知識人でなければならない。批判理論を駆使し、諸学問を学際的に統合し、資本主義社会の構造を批判の対象として構造化できるのは知識人だと考えるようになりました。(ルカーチの理論)


 フランクフルト学派はあらゆる徳目や「価値」は批判されるべきとしています。
    
キリスト教(日本で言えば神道)


    教会


    家族制度


    父権


    権威


    性的節度


    伝統


    国家


    愛国心


    尊敬心


    心


 このフランクフルト学派は戦後、GHQによって日本を席巻します。近年公開された米国の史料でCIAの前身であるOSSはフランクフルト学派の巣窟であったことがわかっています。占領政策はコミンテルンの要領とは異なっており、ルカーチの理論に基づいています。OSSの史料にはマルキストの日本人学者やアジア専門家が多く名を連ねています。この人たちもGHQの占領政策にかかわり、公職追放によって空席となった大学や教育機関、研究機関、行政に潜入していきました。


 一ツ橋大学名誉教授だった都留重人氏は有名でしょう。彼は共産主義者ハーバート・ノーマンの同志です。憲法作成に関わっています。東大法学部憲法学者の宮沢俊義氏もフランクフルト学派でその教えは弟子に受け継がれているでしょう。民法学者の我妻栄氏もそうです。


 「ジェンダー・フリー」「ゆとり教育」は文部省に潜入したフランクフルト学派のエリート官僚の賜物です。男女共同参画社会なんていうのも出来ましたね。男らしさ女らしさを全否定したわけです。日教組の変態教育も「古い性道徳からの脱却」というフランクフルト学派の影響を強く受けています。「憲法愛国主義」というのを聞いたことがあるでしょうか。国家観がなく憲法を最上に頂くものです。フランクフルト学派第二世代、ハーバマスによるものです。これに侵されている人の特徴は「強制」という言葉に反応することです。国歌斉唱時の起立も自由意志と叫びます。これはハーバマスのコミュニケーション論的理性という「強制なき合意」「支配なき融和」がもとになっています。


 フランクフルト学派は日本を破壊し、革命を導くというテロ的思想であり、これが日本の中枢に入り込み、教育やメディアを支配しています。このイデオロギーの洗礼をまともに浴びたのが団塊の世代です。現在が最高潮の時期となっており、現政権からもそれと匂う政策の話しが続々と出ていると思います。


 参考文献
 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政著
 ワック出版「歴史通」WILL10月号別冊
   『野坂参三共産政権の誕生』田中英道
 PHP「現代思想入門」仲正昌樹 清家竜介 藤本一勇 毛利嘉孝 北田暁大




関連記事:
 ゆとり教育とフランクフルト学派
 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24880018.html

2011年2月22日火曜日

自尊自立の為の家庭の医学 番外編1 パスツールとビシャンプ

病気の原因はどこからやって来るのか

生命がどのように生まれたのかということについて今日までいろいろな研究がおこなわれてきたことと思いますが

A.それは無から生まれた、何もない状態から物質、物が生まれた(自然発生説)

B.世界には常に物質があって、その物質が進化を続けて今日に至った

創造されたのか?進化してきたのか?

フランスの有名な科学者パスツールも最初はAの自然発生説を信じていました。
おそらく宗教的な考えに基づくものではないでしょうか。

彼の同僚であったビシャンプはある3つのことに着目しました。
1.砂糖からアルコールが出来ていく発酵の状況
2.傷口の腐敗(化膿)
3.葡萄のある病気

ビシャンプはこの3つの過程の中に非常にちいさな微生物を発見しました。
この非常に小さな微生物をマイクロザイマスというそうです。
細菌とかカビなどの区別なしにすべてを包括してマイクロザイマスという微生物としたそうです。

1.発酵のプロセスに於いてはマイクロザイマスが砂糖を分解してアルコールを生成する
2.腐敗のプロセスに於いてはマイクロザイマスが組織体を分解して膿を生成する
3.葡萄の病気のプロセスに於いてはマイクロザイマスが葡萄の皮を食べ、その結果毒を生み、その毒が植物全体を殺したという発見をしたというのです。

パスツールはビシャンプこの発見から、3つのプロセスに於いて、マイクロザイマスの活動によりこの病気が発生したことを肯定しその上でそれぞれに違った種類の微生物がいると仮定しました。
そしてマイクロザイマスは外部から侵入するものであるとしています。
マイクロザイマスが体内で毒を生成し、はしかになった時ははしかのマイクロザイマスがその症状を作り、天然痘になった時ははしかのマイクロザイマスではなく、天然痘のマイクロザイマスが起因しているというふうに考えました。
一方、ビシャンプの方はさらに研究を進めすべての生命体の中には常にマイクロザイマスが存在している、ということを提唱しました。
組織体の状態によってマイクロザイマスが決まる、という考え方です。
生命体とは人間でも植物でも何でも、その生命体の組織体の中にマイクロザイマスがいて、それが宿っている母体をソイル(土壌)と呼びました。


パスツールとビシャンプのどちらを選ぶかでずいぶん違いますね。
パスツールを選ぶとしたら、主役は外部から侵入してくる微生物です。
その場合、私たちはどのようにしたら病気にならずにすむでしょうか。

微生物を侵入させないように周囲の除菌殺菌などを徹底していかなければなりません。
侵入させないことによって感染を防ぐのと同時に感染した人を避けなければなりません。
感染した場合は、体内の細菌を殺してしまわなければなりません。

ではビシャンプが正しいとしたら、どうでしょうか。
ソイル(土壌)をきれいにするように努めて、常にあるマイクロザイマスに対抗できるようにしておくことになると思います。
それは実際にはどのようにすることでしょうか。

皆さんももうお気づきのことと思いますが、自然療法のプロセス、方法論はビシャンプの発想から来ているのですね。
食生活を見直す、体にとって毒となるものをなるべく摂らない、毒は体の外に出す、夜は寝て朝起きる、頑張りすぎず、のんびりだらけすぎず、規則正しい生活を心がけること。ライフスタイルを考え直すことが大切だということなんです。
しかし、ここを見直さずに変えずに、なんとかやり過ごせないかというのが現代人にありがちなことのように感じます。

19世紀のヨーロッパでも、選ばれたのはビシャンプではなくパスツールの方でした。
まだ抗生物質も発見されていない、ワクチンもない、製薬会社もない時代でした。
大量の薬を作って人々に与え、衛生管理を徹底するのはとても大変なことであったと思いますが、パスツールの方が選ばれたのでした。

ライフスタイルを変えるのと、多くの時間とお金を費やして、現代の医療体制を整えるのと
はたしてどちらが楽であったかというと、人々は後者の方を選んだのです。
なぜでしょう?
パスツールの場合は病気は微生物のせいにできますが、ビシャンプの場合は自分を改めなければいけません。楽さというのは金銭的なものより、感情的、情緒的、心理的な楽さの方を選んでしまうものなのかもしれません。
自分には全く関係が無い、原因が無い、他人や外のものを批判する方が、ずっと楽だということだと思います。
私たちはついついそういう方向に流れてしまう性質がある。

こういう時に科学的根拠というものに逃げてしまわずに、どうしてビシャンプを選ばずにパスツールを選ぶのか、を自らの心に問いかけてみることも大切なことではないかと思います。


2011年2月21日月曜日

エコロジーの欺瞞

エコロジーの欺瞞

健康と環境

近年、あちらこちらで聞かれるようになりました、「エコロジー」や「エコ」が頭についた単語。
ことの本質をごまかしたい時に、日本では日本語よりも英単語をカタカナにして使うようです。
エコロジー(ecology)とは、生態学のことです。私達は頻繁に、「生態学、生態学」と言っていることになります。
お買い物に行けば、エコバックというものがあります。これは、生態学バック。エコポイントというものもありました。
これですと、生態学ポイントでしょうか。
生態学とは、相互作用を扱う学問ですが、現在私達が頻繁に使うエコロジーという言葉には、経済的、社会的、そして政治的な面が盛り込まれた単語となっているように思われます。
例えばエコ関連の標語の定番となっている、「環境に優しい」とか、「環境に配慮した」というキャッチフレーズがあります。
こういう標語は、人間対自然(環境)を対立軸に置いた発想です。あたかも人間が環境をコントロールしなければならない。管理しなければならない、という傲慢さが隠されています。
そもそも地球の誕生の歴史を振り返れば、生物が棲息可能な環境が整って、その後、私達が生まれています。
そのことからも、生物と環境の相互作用という観点よりむしろ、私達人間を含む生物も、環境の一部である、という捉え方をしなければ、本来の意味で環境の改善や保全は難しくなります。
「環境に配慮した・・・」という標語などは、人間が環境をコントロールすべきが前提となっており、この傲慢さが自然破壊を助長していると言っても過言ではありません。

(月刊みんなのうけひのもり1月号 「健康と環境」より一部抜粋)

続きは、日本一元気が出る!たのしい!月刊誌「みんなのうけひのもり」で読めます♪
御購読は此方からできます♪

楽しいラジオ番組 ラジオ版学問ノススメ

リンクはこちら。http://www.jfn.co.jp/susume/

『日本の暦』では日本をよく知ろうというテーマの他に、日本の自立再生というテーマについても積極的に扱おうと思っています。その視点から、今回視聴して良かったと思ったのは2010年10月3日放送分の小泉武夫(東京農業大学名誉教授)の回。日本食、農業、食糧自給について語っています。オススメです。

PodcastやMP3形式のダウンロードに対応しています。

2011年2月20日日曜日

日米安保を検証する

先日、参加させていただいた「練馬 子供の未来を考える会」で発表されたレポートです。とても素晴らしい内容でしたので、許可を得て掲載させていただきました。


日米安保を検証する



「無知の知」を思うことは、何かを学んだり、何かを追求いたりする時の基本的な姿勢だと思う。全てを知ることは難しいが、少しでも知ろうとすることが、国民としてわが国の存続のために必要なのではないかと考えるようになった。というのは、近頃は「知らなくていいもの」を作り、それをひた隠す、マスコミ報道をみるにつけ痛切に感じる次第である。
尖閣諸島沖での中国漁船の海保巡視船への衝突事件を契機に、領土保全問題がにわかに国内での議論が起きているが、先般の米国クリントン国防長官の「尖閣諸島は日米安保条約の対象」との発言を契機に、マスコミを含め国民の大多数は安堵の思いを抱いたかのような状況が生まれている。しかし、日米同盟を支えるといわれる安保条約で果たした日本領土の保全は守られているのだろうか。私は大いに疑問を抱かざるを得ない。理由を以下に述べる。

1.尖閣諸島は日米安保条約の対象だの真の意味

(1)モンデール元米国駐日大使の発言問題

① 1996年、時の駐日大使モンデールは「米国軍は、安保条約で(尖閣諸島をめぐる)紛争に介入を義務づけられているものではない」と発言した。
当時、米国は必死にモンデール大使の発言を打ち消した。「東シナ海論争は、1996年11月26日付けロイター通信を利用しつつ、①尖閣諸島は日本の管轄地であり、安全保障条約の対象である。②しかし領有権については日中いずれ側にもつかないと述べたと記述している。
米国は「日中いずれにも与しない」と公式に立場を表明した。日本政府がこの米国の対応に異論を唱えた形跡はない。むしろ即、この米国の立場を支持している。日本外務省のホームページは1996年11月5日付けの次のような報道官談話を掲載している。

「問−先週、尖閣問題の領有問題に関して、米国政府が日本政府に公式に通報し、米国はいずれの国の立場も支持しないと報道された。これに対して詳しく見解を述べていただけますか」
「答え−米国は、従来より尖閣諸島については自己の立場を表明してきている。米国国務省バーンズ報道官は、過去においてもタケシタ島(原文のママ)の主権について、いかなる立場もとらないと述べている。我々は米国の立場を承知し、理解している」

米国は、その後も一貫して「尖閣諸島の領有権では日中のいずれかの立場も支持しない」立場をとっている。2004年3月24日、エアリ国務省副報道官は次の立場を表明した。

・1972年の沖縄返還以来、尖閣諸島は日本の管轄権の下にある。1960年安保条約第五条は日本の管轄地に適用されると述べている。したがって第五条は尖閣諸島に適用される。
・尖閣の主権は係争中である。米国は最終的な主権問題に立場をとらない。

② この発言は重要な意味を持っている。
同盟関係では、通常、まず外交で支援する。最後に武力で支援する。米国は「尖閣諸島は日本のものである」という日本の立場を支持していない。外交で支持しないものをどうして武力で支持するのか。米国が日本領土と認めていない土地を守るために、米国軍人が命をかける、こんなことを米国社会が認めるだろうか。
副報道官は「1960年安保条約第五条が適用される」と行っている。しかし「自動的に米軍が関与する」とは言っていない。この両者にいかなる違いがあるか。
安保条約第五条は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」と言っている。米国では、戦争宣言を行う権利は議会にある。行政府ではない。議会は行政府から独立して決定する。1952年の安保条約について、当時の責任者ダレスは「フォーリン・アフェアーズ」誌(1952年1月号)で「日本の安全と独立を保障するいかなる条約上の義務を負っていない」と述べた。米国が日本の防衛に負っている義務は「議会の意向に従う」という留保付きである。
③ 先般、中国漁船が尖閣諸島沖合いにて我が国の領海を侵犯し、海保巡視船に衝突事件を起こしたことを契機に、日中両国間での領土問題が国際的にクローズアップした際、クリントン米国国務長官が「尖閣諸島は日米安保条約第五条の対象」と前原外相に明言したが、そのすぐあとで、国務省副報道官が今回も「尖閣の主権は係争中である。米国は最終的な主権問題に立場はとらない」と記者団に語っている。

(2)「日米同盟 未来のための変革と再編」(2005年10月署名)が持つ意味

① この契約の中の「役割、任務についての基本的な考え方」で「日本の島嶼部への侵略は自ら防衛する」としている。島の防衛は日本の役割である。日米共同の役割・任務ではないことが明記されている。
② 日米安保条約は第六条で「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」とする極東条項を持っている。あくまで日米安保は極東の安全保障を確保することを目的としている。それが「未来のための変革と再編」では、同盟関係は「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」としている。日米の安全保障協力の対象が極東から世界に拡大されたのである。(このことに伴う我が国が負う新たな問題に付いては、改めて別途に報告したい。)

(3)結論を言おう

中国の尖閣諸島攻撃を想定しよう。中国は、当然占拠できると見込む戦力で来る。この時は、自衛隊が対応する。初期の段階で米軍は参戦しない。自衛隊が勝てばそれでいいが、負けるとどうなるか。管轄権は中国に移る。その際には、安保条約は適用されない。
つまり、自衛隊が勝っても負けても、米軍は出る必要がない。見事ではないか。一方で、尖閣諸島をめぐる主権論争で日中のいずれの側にもつかない。他方で、軍事的に日本を支援するという姿勢は放棄しない。しかし、中国との先頭に巻き込まれる危険性は避けている。
米国内では、「アメリカとしてみれば、日本と中国の領土問題や海底資源問題をめぐる紛争に引きずり込まれるリスクが減ずる」(サミュエルズ著『日本防衛の大戦略』)ことが米国の国益に合致すると考えるのが自然である。
沖縄が米国施政下にあった時、尖閣諸島もその中に含まれた。まさか中国領と認識していたわけではないだろう。しかし、尖閣諸島をめぐり、日中の軍事衝突の可能性がでてくるや、領土問題で中立の立場を打ち出した。「巻き込まれる危険回避」を優先した。しかし、表面上は「同盟国支援」の立場を保っている。
私は、米国のこの態度を非難する気持ちはさらさらない。それが国際関係というものだ。米国外交のしたたかさに感心する。見事だ。同時に、日本の対米外交の拙劣さと弱さにがっかりしている。
さらには、日米安保条約の意味している実態を国民に説明もせずにいる政府、加えて条約の内容を解説もせず、「尖閣も安保条約の対象」という米国側の声明をただ垂れ流すだけのテレビ・新聞といったマスコミの姿勢に怒りを覚えるのみである。

2.「核の傘」という幻想

米国は2010年4月、核政策の基本方針NPR (Nuclear Posture Review) を発表した。ここでは、「核抑止力を維持することで、核兵器を有さない同盟国に我々の安全保障上の約束を確約することができる」と記している。
こうした表現で、日本の多くの人は米国の「核の傘」があると信じている。
上記のNPRを注意深く見てみよう。米国は「我々の安全保障上の約束を確約する」と言っている。しかし、抑止のため「行動をとる」とは言っていない。では、米国が日本に与えた約束とは何か。
安保条約では、日本が攻撃にあったとき米国が日本のために武力を行使する否かは、先述した通りで、米国議会の議決が必要であり、議会が承認しない限り米国は参戦しない。まずこのことを前提にして考えるべきだ。
日本の将来において、最大の関心は、隣国中国の脅威にどう対応するかである。中国は核兵器を急速に増強している。米国国防省による年次報告書『中国の軍事力2009年』は、日本列島全体を射程距離内に収めているミサイル「東海10」の基数は150〜350、その発射基数は40〜55と推定している。中国核兵器の日本への脅威は着実に増している。その中国の核兵器の脅威に対して、日本がどう対応できるのか。
ここでも多くの人は、日本には米軍の「核の傘」があり、大丈夫だと思っている。米国が日本に対して「核の傘」を与えることは何を意味するのか、中国の核兵器を例にとって、考えてみたい。

第一段:外交案件で日中の交渉が決裂する。そこで中国は、自分たちの言い分を聞かなければ、日本に核兵器を発射すると脅す。

第二段:脅された日本は、米国に助けてくれとお願いする。

第三段:米国は中国に対して「日本に核兵器を発射するなら、米国は中国に核兵器を撃つ」と脅す。

第四段:中国が米国の脅しをうけ、では日本への核攻撃の脅しを取り下げますといういう。

こう進むのが、「核の傘」、「拡大核抑止」である。
では、本当にこのシナリオで進むのだろうか。
ここでは核戦略の根本である「相互確証破壊戦略」と呼ばれるものを見ることとする。

「相互確証破壊戦略」は、核保有国が相手国を壊滅できる核兵器の能力を持ったときに、いかにお互いが核での先制攻撃を避けるかを考えた構想である。理由、背景が何であれ、お互いに核兵器で先制攻撃をしないことを相互に確約するシステムだ。
「相互確証破壊戦略」の骨子は、「お互いに相手国が攻撃しても、生き残る核兵器を持ち、これで相手国を確実に破壊できる状況に置く。したがって、双方が先制攻撃をしない」ということだ。これが最も重要なポイントである。仮に、同盟国が核攻撃の脅しをうけても、米国は相手国に「そんなことをしたら、米国は貴国に核兵器で先制攻撃をするぞ」とは絶対に言えないシステムである。
米国とソ連(ロシア)が、「相互確証破壊戦略」を米ソ間の基本原則とする限り、「核の傘」、「同盟国への核抑止の供与」は存在しない。将来、中国の核兵器が米国を壊滅できる状況ができたら、米国は中国との間に「相互確証破壊戦略」を適用するしかない。
こうした状況を踏まえて、米ソ間の戦略交渉の中心人物であったキッシンジャーは、代用的著書『核兵器と外交政策』の中で、核の傘はないと主張した。要点は次の通り。

・全面戦争という破局に直面した時、ヨーロッパといえでも、全面戦争に値すると(米国の中で)誰が確信しうるか、米国大統領は西ヨーロッパと米国の都市50を引き替えにするだろうか。
・西半球以外の地域は争う価値がないように見えてくる危険がある。

キッシンジャーは、日本に対する「核の傘」はあり得ないと指摘している。また、米国の古典的リアリズムのバイブル的存在である著書を書いたハンス・モーゲンソーはその著書の
『国際政治』(稲村出版)で、「核の傘」について次のように記している。

『(核保有国)Aは(非核保有国)Bとの同盟を尊重してまで、Cによる核破壊という危険にみずからをさらすであろうか。極端に危険が伴うことは、このような同盟の有効性に疑問をなげかけることになる』

さらに、元CIA長官スタンスフィールド・ターナー氏(ミサイル巡洋艦艦長、NATO南部軍司令官、海軍大学校校長、大西洋を所管する第二艦隊司令官を歴任)は、「米国が日本に核の傘を与えることはあり得ない」と発言している。
1986年6月25日付、読売新聞夕刊一面トップに「日欧の核の傘は幻想」の表題の下、次のようなターナー元CIA長官の言葉を報じた。

「軍事戦略に精通したターナー前米中央情報局(CIA)長官(海軍提督)はインタビューで核の傘問題について、アメリカが日本や欧州防衛のためにソ連に向けて核を発射すると思うのは幻想であると言明」「われわれは米本土の核を使って欧州を防衛する考えはない」「アメリカの大統領が誰であれ、ワルシャワ機構軍が侵攻してきたからといって、モスクワに核攻撃をかけることはあり得ない。そうすれば、ワシントンやニューヨークが廃墟となるからだ」「同様に、日本の防衛のために核ミサイルを米本土から発射することはあり得ない」「われわれはワシントンを犠牲にしてまで同盟諸国を守る考えはない」「アメリカが外国と結んだいかなる防衛条約にも、核使用を言及したものはない」「日本についても有事の際、アメリカは助けに行くだろうが、核兵器は使用しない」

きわめて明確である。キッシンジャー、モーゲンソーという米国の安全保障・外交の第一人者が、理論的に同盟国のために核兵器を使用することはないと言明し、米海軍第二艦隊司令官やCIA長官のポストを経てきたターナーも、日本に対する「核の傘」はないと言う。
もちろん米国国務省員や国防省員は日本を引きつけるために、あるいは有利な取引を得るために、「核の傘は提供しますよ」と言う。歴史的にそう言ってきたし、今後もそう言うだろう。しかし、論理的に考えて、米国が「核の傘」を与える可能性はない。

3.「抑止論」に曖昧さはない

抑止論の議論をすると、「抑止とうのは漠然としたもの」という議論がなされる。しかし、大国が「相互確証破壊戦略」を互いに採用する時、曖昧さはない。双方の弾道ミサイルの数、破壊能力を緻密に計算し、いかなる攻撃があっても生き残れる核兵器が、どれくらいあるかを確証しあう。当然、どういう場合に核兵器を使うかを確証しあう。
この討議の中で、必然的に同盟国への「核の傘」の有効性は否定される。同盟国への「核の傘」と「相互確証破壊戦略」は共存できない。
中国が米国を核攻撃する能力が高まるにつれ、米国は中国に明確に「日本への核の傘はない」と伝達していくだろう。抑止論は曖昧なものではない。超大国はとことんつめ、双方に曖昧さが残らない状況を作ってきた。
「相互確証破壊戦略」は、相手国が米国を完全に壊滅できる核兵器の能力を持った時に出てくる戦略である。相手国が米国を完全に壊滅できない時には、別の戦略が適用される。
つまり、北朝鮮の核兵器に対しては米国は抑止に働くが、中国に対してはそうではない。
日本にとり、一番の問題は軍事大国化した中国である。中国が大国化した時、米国の対日軍事支援は自動的になされない。尖閣諸島や、中国の核兵器が対象になった時、米国が日本と共に戦うか。恐らく避けるだろう。
中国が自分の核兵器の能力を高めることで、事態は変化した。20年前はそういう事態はなかった。しかし、中国の米国への核攻撃の能力を持つにいたった現在、事態は変わった。今後ますます変わる。
米国は、東アジアで軍を使う可能性はある。しかし、それは「日本に確固たる約束があるから」ではない。米国が「戦うことが自らの国益に合致する」と判断する時である。
「米国に追従する」で、我が国の安全保障の問題が解決するわけではない。「すべてが解決する」という考え方は、実態から遊離している。幻想を持つことは危険である。
当然、「独自の戦力を充実させる」道を模索する必要がある。「米国に追従する」と「独自の戦力の充実に努力しない」ことは密接な相関関係がある。
日米安保条約でもって、米国は必ず日本を守ってくれると思っている人は、「フォーリン・アフェアーズ」誌1952年1月号のダレス論文を見るべきだ。ダレス長官は「日本が米国を守るという義務を果たせない以上、米国は守る義務は持っていない。間接侵略に対応する権利は持っているが、義務はない」と述べている。
米国は、日本の基地を基盤にして敵と戦う権利を持つ。しかし、義務はない。ダレス長官が作成したのは、1951年に締結された旧安保条約である。1960年の新安保条約が締結されるにあたり、新たな文言が入れられた。では、ダレスの考え方h、新安保条約で否定されたか。
新安保条約においても、この考え方は、極めて巧妙に維持されている。旧安保条約から1960年の新安保条約に移行する過程で、いくつかの変化はある。だが、こと米軍の駐留に関する限り、何も変化はない。占領時代から旧安保条約、新安保条約と同じである。ダレスの思想は引き継がれている。
米国が日本に約束したことは、「米国は自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」ことまでである。自国の憲法とは「戦争の決定は議会がする」ということである。議会が積極的に交戦すると言わなければ、戦う義務はない。議会が参戦決議をしなければ、それで終わりである。重要なことは、その事態になっても、米国は何らかの約束違反を行っていないことだ。日本側が単に幻想を持ち、その幻想が実現しなかっただけの話なのである。

2011年2月18日金曜日

八田與一をはじめとする台湾にいきる日本精神レポート

日本ネイビークラブと修学院の合同定例会が2月12日(土)に東京大学本郷キャンパス山上会館にて行われました。
講師は修学院の久保田信之氏です。

「八田與一をはじめとする台湾に生きる日本精神」

序 化外の地・台湾をよみがえらせた日本
今でこそアジアの四小竜の一つと言われる台湾ですが、1895年下関条約により日本の統治下にはいるまでは支配を嫌い、共通言語もない12の原住民族が交流もなく小規模集落を形成する、清朝も手に負えなかった未開の地でした。マラリヤやコレラ等の伝染病、勿論道路も港湾もなく、病院もありません。また、アヘンの風習をもった民族もあったようです。
日清戦争で勝ったものの、この台湾をもらうという事は経済上あまりメリットのある条件ではなかった。しかし、台湾を日本の一部とする以上、日本本土と変わらない豊かな土地にしようと日本政府と派遣された技術者は力を尽くしたのです。
一、台湾開発に見る日本精神
第四代台湾総督・児玉源太郎が民政長官に後藤新平を抜擢。後藤は徹底した調査事業を行って現地の状況を知悉した上で経済改革とインフラ建設を進めます。
「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」という生物学の原則に則った手法をとりました。
結果、後藤は台湾を語るときにはずせない人物となりました。
二、八田與一と日本精神
八田與一は1886年生まれ。幼いころには利水の重要度を実感していたようです。東京帝国大学土木科卒業後、台湾総督府に着任し、衛生工事担当を経て利水事業を担当します。
以下工事内容
今でこそ様々な農産物を生産する台湾ですが、統治を始めた当時は一番広く気候としては四耗作も可能な嘉南平原ですら、流れる河川が尐なくしかも急流の為水利としてほとんど機能せず、穀物の栽培には不向きでサトウキビすら育たない不毛の地でした。それを徹底した現地調査と大胆な発想の下1920(大正9年)着工します。
官田渓(中規模河川)だけでは水量が不足だったため、一山越えた本流・曽文渓から引き込むために烏山嶺をくりぬくトンネルを造ることにします。
セミ・ハイドロリックフィル工法で、粘土、砂、礫、栗石、玉石を組み合わせて堤防を造りました。セミ・ハイドロリックフィル工法とは、堤体上流と下流の両式幅末端の部分に土砂を置き、ダム軸上にあるコンクリートコアからポンプを使い、
水を土砂に吹きかける。すると、軽い土や石はコンクリートコアに向かって流れ、重い岩は式幅末端に残る。これを繰り返し、嵩上げする工法の事で、多尐のコンクリートは使うものの、三面コンクリートの護岸工事と違い、自然に近い工法だそうです。
これは、財政面で常にコンクリートの修理するのが難しく、自然材料のほうが材料調達が比較的しやすかったため。
その他に灌漑用の水路、導水路、放水・制水・分水の為の門を造らねばならなかったし、発電用水路の為に沈砂池も造る必要があったのです。
この工事を行うにあたり、資材を運ぶ道路や鉄道、送電線の設置、その円滑な運用制作の立案と徹底をしました。
また、付属事業として、大きな工事であり、困難を伴って時間もかかるので、働く人たちが安心して仕事が出来る為に家族一緒がよいと主張し、家族も住める宿舎、共同浴場、商店や娯楽施設、更に学校もつくり、200人にもなる一つの街を造り、作業員の福祉にも貢献しました。
総工費は、台湾総統府の総予算の半分である5,400万円。巨額な国費が投入されました。
その結果、当時アジア一と言われた烏山頭ダム(満水面積1000ha 貯水量1億5,000万㎥)および16,000kmに及ぶ灌漑用水路が嘉南平野一帯に完成。戦後、日本の統治の痕跡を消して回った国民党の蒋介石ですら消す事の出来ない実績となり、今でも台湾の農業に欠かせない重要なダムとなりました。
三、 妻もまた台湾の土に還った
1942年フィリピンの綿作灌漑調査を命ぜられ輸送船で現地に向かったが、五島列島沖でアメリカ潜水艦の攻撃に遭い殉職、その遺骸は操業中であった山口県の漁船によって偶然網にかかり引き上げられた。
妻、外樹代も1945(昭和20)年9月1日未明、夫が心血を注いだ烏山頭の放水路に身を投げて後を追った。
四、 評価
1931(昭和6)年7月、八田が作業着姿で考え事をしている姿の銅像が、八田とともに働いた工夫・農民の寄付によって作られた。戦争末期、軍の命令で銅の供出が叫ばれた中も農民がこれをそっと隠し、保存されていました。1946年地元の農田水利協会の人々によって夫妻両名の墓が建立された。墓石も大理石ではなく日本人の風習通り、御影石を高雄まで行き探し求めたそうです。
蒋介石時代に日本が残した顕彰碑の接収・破壊が行われた時にも地元の有志でこれを隠し、1981(昭和56)年1月1日再びダムを見下ろす元の位置に設置されま
す。
その後、現在まで命日の5月8日には現地の人々によって追悼式が行われています。この行事は国民党も無視できず、日本に好意的でないとされる馬英九現総統もこれに出席しています。
2011年5月8日には八田與一記念公園もオープンする予定です。
日本の技術の素晴らしいところは学んだ技術をそのまま猿まねして転用しないということだそうです。そのままでなく、その場所、技術に合わせたものを造る。
そして良いものにする、これはどんなに反発している人でも納得させてしまいます。
講師の久保田先生は「日本の精神と言うのは理屈では語りにくい。」とおっしゃいました。文字にするとわかりにくいものですから、外国人ははじめ、日本と聞くと、偏見を持っているそうです。しかし、実際にその方法を見て体験した人には絶対にわかってもらえる。大和の心は身をもって体験して初めてわかるものなのですね。
過去の日本人は素晴らしかった、良い国に生まれたというのはとても大事な事ですが、それを誇りにし、謙虚に見習っていくことこそが、これからの我々には求められているのではないでしょうか。

2011年2月17日木曜日

自尊自立のための家庭の医学 第一回 「症状」はお知らせ

自尊自立のための家庭の医学 第一回
「症状」はお知らせ

病気とは「バランスの崩れた状態」、そしてその「バランスが崩れたまま滞った状態
と捉える事が出来ます。
その病気の結果として症状があります。
病気といってもいろいろな病気があります。新しい病気がどんどん増えています。西洋医学では症状によって分類し病名をつけていますが、自尊自立のための家庭の医学 でご紹介した医学の5つの流派のうちの1.~4.の療法ではあまり細かい病気の分類や病名を重要視しない場合もあります。
ここでは、病気を広い意味で捉えて、バランスの崩れた状態とします。


例えば風邪。
ウイルスや菌はいつも空気中にたくさんあって、体の中にもバンバン入ってきています。
しかし無理をしたりして免疫力・抵抗力が弱っている時にそれらの菌やウイルスに感染したら発症します。
くしゃみ、鼻水、咳、喉の痛み、熱などの症状が出てきます。

これらの症状は、風邪をひいた結果です。原因は風邪という病気になっていることです。
つまりくしゃみ、鼻水、咳、喉の痛み、熱は原因ではありませんので、これを止めることは体にとって根本的解決ではないということなのです。ですので普段ならやっつけてしまうウイルスや菌に抵抗できなくなっている体を元の状態に戻すことが正しい手当といえるのではないでしょうか。

これらの症状は苦痛を伴います。熱が出ると動けませんから、通常の生活に支障をきたします。だから早く無くなってほしいと思いますよね。苦痛や不便さにばかり目が行くと「病気、症状=悪」という考えになってしまいます。悪は排除しなければいけないという考え方があります。そこでそれらの症状を取り除こうとします。熱には解熱剤、咳が出れば気管支拡張剤、腹痛があれば腸の動きを止める、などです。しかし、熱が出るのは体温を上げて免疫を活性化し外敵と闘うためですし、咳、嘔吐、下痢などは外に出そうとする反応です。体は、そうする必要があってしていることと言えると思います。そして多くの薬はその症状を取り除くというよりは、抑えるものがほとんどです。

実際に、風邪のときに解熱剤で熱を抑えると症状が長引くというデータがアメリカにあります。そのためか最近では解熱剤を簡単に処方する病院は少なくなっているようです。また、日本でO-157が流行った時も、下痢止めを飲んだ患者の死亡率が高かったことが報告されているそうです。

ウイルスや菌に感染すると、そのせいで症状があるのだから、ウイルスや菌を殺すことは対症療法ではなく原因治療のように思います。たしかにウイルスや菌は原因の一つです。しかしウイルスや菌が体内にあっても発症しない事もあります。ヘルペスウイルスは子供の頃に水ぼうそうをして以来多くの人の神経節に潜んでいます。そして体の抵抗力が落ちた時、口唇ヘルペスや帯状疱疹となって出てきます。結核や風邪もいつのまにか感染し、そして知らない間に治癒していることもあります。このように、かならずしも感染=発症ではなく、ウイルスや菌は必要条件に過ぎず、普段から体内には多くの菌やウイルスが入ってきたり潜んでいたりして、何らかの原因でそのバランスが崩れたときに症状としてあらわれてくると考えることが出来ます。

症状は「バランスが崩れているよ」という体からのお知らせです。
そして症状は、体が元の状態に戻ろうとする反応ともいえます。
同種療法では、症状は私たちの体に備わっている自然治癒力が働いている過程であると考えられています。だから症状をむやみに抑えてはいけない、体の外へ出そうとしているものは出し切るように促します。
症状が病気の原因を探る上での貴重な手掛かり、お知らせであるならば、これを抑えようとすることは警告のアラームをたたき壊して、ほらもう鳴らなくなったから安心と言っているようなものだという気がします。


長引く咳や、発熱時のゾクゾク、フラフラ、お腹が痛くて何度もトイレに行くetc・・・は実際、不便なんですが、すぐに薬を飲んでしまう前に最近の生活を振り返って、無理をしていないか、ストレスをためていないか、何か悩んでいることはないか、思い出してみるのも大切なことです。
やらなきゃいけないことがいっぱいで忙しい
あれもしたいこれもしたい
そんな自分の思いだけで無茶をしていませんでしたか?
体はそういう無茶にずっと応えてきました。でもそろそろそれに応えるのも厳しいと言っているのかもしれません。病気になったときだけ、急に心細くなって早く楽になることばかり考えてしまいがちですが思い当たることがあれば、まずはゆっくり体を休めて、その状況を改善する方法を考える、これもバランスを正すこと=自分で出来る治療かもしれませんね。

2011年2月16日水曜日

共産主義思想の研究方法

共産主義思想の研究は周辺知識から入ること。いきなり資本論は時間と労力の無駄。外から理解する。

捏造された南京虐殺 ~ 東京裁判

本日の投稿は、JJ太郎様のブログ「かつて日本は美しかった」より転載させて頂きます。


 戦後の東京裁判はOSS(アメリカ戦略情報局)が深く関わっていました。このOSSは戦時中から日本の敗北を前提に日本の軍事的壊滅と社会の攪乱を目指した「日本計画」を作っていました。 戦後、連合国はナチス・ドイツのユダヤ人迫害を「人道に対する罪」という事後法で裁くことが出きると考えていましたが、日本にはそのようなものはない。そこでその方策を「日本計画」の一環としてOSSが任されることになります。

 その基本案を作ったのがチャールズ・ケーディス大佐で、彼はOSSの欧州担当で共産主義者です。彼は日本をドイツと同じように犯罪国家にしたてようと画策しました。戦後、GHQの民政局の課長となり、局長コートニー・ホイットニーの下で日本を破壊する工作を行います。憲法もケーディス大佐が中心に推し進めたものです。

 GHQは神道指令で「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と名称をあらため、昭和20年12月18日から日本の新聞各紙で「太平洋戦争史」という日本軍断罪の連載をはじめ、ここではじめて「南京虐殺」が登場します。この「太平洋戦争史」は以前にOSSによって「平和と戦争」という記事で前もって作られていたものでした。

 この南京虐殺のもとは支那の国民中央党宣機構の顧問だったティンパリーがつくったプロパガンダで、これにOSSが飛びついたわけです。

 しかし、さすがに東京裁判ではナチスのような共同謀議、共同計画によって部下に残虐行為を命令した、許可したという事実は何一つ出てきませんでした。検察側もこれには参り、上海派遣軍司令官だった松井大将の訴因1から54までは無罪とし、第55のみ有罪として死刑としたのです。

 松井被告に対して多数判決は「・・・これらのできごとに対して責任を有する軍隊を彼は指揮していた。これらのできごとを彼は知っていた。彼は自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務も持っていた。同時に、その権限ももっていた。この義務の履行を怠ったことについて、彼は犯罪的責任がある」というものです。

 南京虐殺そのものが捏造であるのに加えて「不作為」の責任というものが過度に拡大解釈され、松井大将は死刑となりました。

 東京裁判の南京事件の判決文の中には殺害した人数が3通りもあり、一方では20万以上、一方では10万人以上となっています。なんというデタラメでしょうか。判決文は判事が書いたものではなく、別途判決の起草委員会が作成したもので、公判中に指摘された誤りは訂正されずそのまま使われています。判事たちは判決文を論議するために召集されたこともありませんでした。結論ありきの世紀のインチキ裁判であり、そこで南京虐殺はでっち上げられたのです。




参考文献
 「歴史通」WiLL2010.1 『戦争犯罪人という烙印』田中英道
 「パール判事の日本無罪論」田中正明著
 「南京事件の総括」田中正明著
 「秘録 東京裁判」清瀬一郎著
参考サイト
 WikiPedia「チャールズ・L・ケーディス」

2011年2月15日火曜日

マッカーサーの検閲「三十項目」

終戦後の昭和20年9月21日、GHQは、日本新聞遵則(日本出版法、プレス・コード)(SCAPIN-33/9月21日付)、日本放送遵則(ラジオ・コード)(最高司令官指令=SCAPIN-43/9月22日付)を報道関係者に公表させました。
「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」その具体的な検閲内容の指針として以下の「三十項目」が設けられました。
 
 
1.SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判
2.極東軍事裁判(東京裁判)に対する批判
3.SCAPが憲法を起草したことについての言及と批判
4.検閲制度への言及と批判
5.合衆国に対する批判
6.ロシアに対する批判
7.英国に対する批判
8.朝鮮人に対する批判
9.中国に対する批判
10.他の連合国に対する批判
11.連合国一般に対する批判
12.満州における日本人への取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他のあらゆる宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交際を扱うストーリー
24.闇市の状況への言及
25.占領軍軍隊への言及
26.飢餓を誇張した記事
27.暴力と不穏の行動を扇動する記事
28.明白な虚偽の報道
29.SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表

読書録-日本人が知ってはならない歴史 戦後篇 でも触れましたがこれに従事した日本人が昭和21年の時点で5100人以上いたそうです。
「原子爆弾は国際法違反の戦争犯罪である」という鳩山一郎の談話を掲載した朝日新聞を48時間の発行停止処分にしたという言論弾圧がありました。実際、報道機関にとってこのような処罰は経営上大損害であったことでしょう。
昭和20年9月のプレスコード、ラジオコードに次いで同年10月にはGHQが新聞の事前検閲を朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、日本産業経済、東京新聞の在京5紙に対して開始しました。これに困惑した新聞社は自主規制を強めることで事後検閲へと変えてもらうことを懇願し、自らがこの三十項目に従った報道姿勢を取っていたのです。こうして連合国に不都合な報道は封じられ、報道機関はGHQの政策や意見を表明する手先となってしまいました。 サンフランシスコ講和条約発効後、主権が回復した後に、このことを公表し謝罪した報道機関はあるのでしょうか。今のマスコミは現在もこの自己検閲の言論統制が続いているような印象を受けます。

 
 ちなみに占領政策は何でもかんでもGHQによって作られたような印象が強いですが、これは誤りで、実際はOSS→米国大統領→マッカーサー(GHQ)と言う順に伝達されていたそうです。
OSS(Office of Strategic Service:アメリカ戦略情報局)とは、CIAの前進の情報機関で昭和16年5月に計画され、翌17年6月に活動を開始していたそうです。
OSSはマッカーサー(GHQ)の上部組織で、「日本計画」はこの頃すでにOSSにより策定されていたのです。この「三十項目」もOSS製です。
 
 

2011年2月14日月曜日

大東亜戦争終結ノ詔書 (大東亜戦争終結に関する詔書)

一つ前の投稿が開戦だったので、今度は終戦です。

《原文》
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
御名御璽
昭和二十年八月十四日

《読み下し文》
朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)をはかり、万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙々おかざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が意志にあらず。しかるに、交戦すでに四歳をけみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局、かならずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。かくのごとくは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れるゆえんなり。
朕は帝国とともに、終始、東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れたる者、及びその遺族に想を致せば、五内ために裂く。かつ戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ

《現代語訳》
余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ

2011年2月12日土曜日

大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)

一つ前の投稿からの続きです。

意外とこれを読んだことがある人は少ないかもしれません。
日本が開戦したときのことを理解するための一助になると思って投稿しました。

《原文》
天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス
米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス
斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス
御 名 御 璽
昭和十六年十二月八日

《読み下し文》
天佑(てんゆう)を保有し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。
朕(ちん)、茲(ここ)に米国及び英国に対して戦(たたかい)を宣す。朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は、励精職務を奉行(ほうこう)し、朕が衆庶(しゅうしょ)は、各々(おのおの)其(そ)の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算(いさん)なからむことを期せよ。
抑々(そもそも)、東亜の安定を確保し、以って世界の平和に寄与するは、丕顕(ひけん)なる皇祖考(こうそこう)、丕承(ひしょう)なる皇考(こうこう)の作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう)にして、朕が拳々(きょきょ)措(お)かざる所。
而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤くし、万邦共栄の楽(たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)、帝国が、常に国交の要義と為す所なり。今や、不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。洵(まこと)に已(や)むを得ざるものあり。豈(あに)、朕が志(こころざし)ならんや。
中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構えて東亜の平和を攪乱(こうらん)し、遂(つい)に帝国をして干戈(かんか)を執(と)るに至らしめ、茲(ここ)に四年有余を経たり。幸(さいわい)に、国民政府、更新するあり。帝国は之(これ)と善隣の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(かき)に相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。
米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。剰(あまつさ)え与国を誘い、帝国の周辺に於(おい)て、武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存に重大なる脅威を加う。
朕は、政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威を増大し、以って我を屈従せしめんとす。
斯(かく)の如くにして、推移せんか。東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉(ことごと)く水泡に帰し、帝国の存立、亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕せり。事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、一切の障礙(しょうがい)を破砕するの外(ほか)なきなり。
皇祖皇宗の神霊、上(かみ)に在(あ)り、朕は、汝、有衆の忠誠勇武に信倚(しんい)し、祖宗の遺業を恢弘(かいこう)し、速(すみやか)に禍根を芟除(せんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以って帝国の光栄を保全せんことを期す。


《現代語訳》
天の神々のご助力を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、はっきりと忠誠にして武勇ある汝ら国民に示す。
余はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。余の陸海軍の将兵は、全力を奮って交戦に従事し、余の政府関係者・官僚・役人のすべては、つとめ励んで職務に身をささげ、余の国民は、おのおのその本分をつくし、億兆の心をひとつにして、国家の総力を挙げ、攻め戦う目的を達成するために、手ちがいのないように心がけよ。
そもそも、東アジアの安定を確保し、それをもって世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その大いさを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、余も日頃、かたときも忘れずに心がけている事である。
そういう理由であるから、各国との交流を篤くおこない、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要諦とするところである。今や、不幸にして、米英両国との争いを開始するにいたった。まことに、やむをえない事態である。どうして、これが余の本意であろうか(このような事態は、余の本意ではない。)
中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国に武器をとらせる事態(慮溝橋事件)にいたり、現在まで四年が過ぎた。さいわいに、国民政府は、汪清衛・南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するに至ったが、重慶に残存する蒋介石政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟であるはずの南京政府と、いまだに相互の境をはさんでせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、蒋介石政権を支援し、東アジアの戦禍と混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道なる野望をたくましくしているあまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには禁輸措置を意図的におこなって、帝国の生存に重大なる脅威を加えている
余は、政府をして、そのような事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、隠忍(いんにん)したのだが、米英は、寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を遅らせ先延ばしにし、その間にもますます、英米による経済上・軍事上の脅威は増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態が、そのまま推移したならば、東アジアの安定に関して、帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、英米による一切の障礙(しょうがい)を破砕する以外に道はない
皇祖皇宗の神霊は、天にましまし、余は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに英米による禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである

2011年2月11日金曜日

東条英機の遺言

東条英機の遺言

●英米諸国人に告げる

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私も固より、
これを認めるにやぶさかではない。
しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、
正理公道による勝利ではない。
私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。
しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって
最近の歴史的推移を観察するなら、
その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。
我れ等はただ微力であったために
正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。
いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、
原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人
もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを
敢えて行ったことに対して、
あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、
世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、
人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、
自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

●日本同胞国民諸君

今はただ、承詔必謹する
〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。
私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、
私は国家の生存と国民の自衛のため、
止むを得ず受けてたっただけのことである。
この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に
特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。
ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、
その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、
彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。
不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、
正理公議は厳として我が国にあるということは
動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。
人が多ければ天に勝ち、
天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。
諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、
天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。
永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも
我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、
喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、
精進努力することによってこの一大困難を克服し、
もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

●日本青年諸君に告げる

我が日本は神国である。
この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。
私は諸君が隠忍自重し、
どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、
現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。
しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、
正義公道は始終一貫して
我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、
彼らの英魂毅魄〔美しく強い魂魄〕は、
必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。
殉国の烈士は、決して犬死したものではない。
諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、
日本三千年来の国史の導きに従い、
また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、
もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。
これこそがまことに私の最後の願いである。
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、
おかしな理屈や邪説におもねり、
雷同する者どもが少なからず発生するであろう。
しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。
忠君愛国の日本精神。
これだけである。


いわゆる東京裁判において戦犯とされて処刑されたのは陸軍ばかりでした。理由はよくわかりません。不思議な話です。

2011年2月10日木曜日

「食」を粗末にしてはいけない・・・

国の守り、安心できる未来。
そんなことを考えるときに無視できないのが「食」の問題です。

日本は年間、6000万トンの食料を輸入しており、そのうち、半分の3000万トンが生ゴミとして破棄されています。このうち約1000万トンが、家庭からの生ゴミ、その家庭からの生ゴミのうち、約40%(400万トン)が「食べ残し」。
世界では、3秒に1人の子供が「飢え」で死んでいるそうですから、これを書いている間に、何人もの子供がおなかをすかせて死んでいく。

1年間に日本が「捨てる食料3000万トン」という数字は、1人一日1800カロリーで生活している発展途上国の人で計算すると、約4500万人の年間食料です。
ちなみに、日本人は一日平均2000~2200カロリーを消費しているとのこと。
単純に考えても、明日、食糧輸入がすべてストップした場合9000万人が飢える、ということになります。
これは国民ほぼ全員です。
さらに途上国への年間食糧支援量が、約1000万トン。
日本は、3000万トンの食糧を「捨てている」。
そしてこの無駄に捨てられた生ゴミ処理に約3兆円が費やされているという。

今、世界は人口増加という問題を抱えています。
食糧や水を調達できない地域がたくさんあります。
たまたま日本という豊かな国に生まれた私たちは、そのことをあまり気にしていませんし実感がありません。
食べ物も水もお金を出せば簡単に手に入ると思っています。

食糧や水を確保するために、軍事力を使って領土を拡大しようとする国もありますし、過去の戦争の中にも食糧やエネルギーを求め膨張政策をとって戦争を始めた例があります。
食糧やエネルギーを独占しようとするグループの存在もあります。
自由貿易やグローバリゼーションという流れの中で、目の前の畑でとれた食糧を他の国の商人が買っていき、残った食糧だけでは自国の飢餓を救えないということもあります。

食べ物を粗末にしない、できれば食べ物を自分で作ってみる。
安心できる未来を残すために個人ができる取り組みかもしれません。
今後、食糧やエネルギーを自給する生活スタイルや技術開発などへの関心は高まるかもしれませんし、もっと高まっていってもいいと思います。

2011年2月9日水曜日

読書録-日本人が知ってはならない歴史 戦後篇 


「東京裁判史観」というものは戦後日本の外交・軍事・教育の根幹を呪縛している。
言い換えれば日本再興・亡国への道は「東京裁判」をいかに解析できるかに懸って
いると言ってよい。東京裁判史観の核心とは、「日本が戦争を起こした」という誤認識がそれである。
歴史を学ぶ必要があるのだということを改めて痛感しました。
しかし個人的には正しい知識を取り入れるだけではどうしようもないことをとても強く感じました。
東京裁判なるものは大東亜戦争当時の日本人だけが裁かれ、それで一応の終結をみたということではなく東京裁判史観としてあるいは、目には見えない形になって現在の日本国民である私たちにも大きく影響を与え続けていることがとてもよく理解できる内容となっています。

例えば検閲について。
占領下で検閲があったということは知っていましたが、それに従事した日本人は昭和21年には5100人以上もいたそうです。検閲に関わった日本人は英語を読み書きできる所謂「インテリ」層で、彼らの給料は5ヶ月分で当時の東条英機元首相の資産(15万円)と同じくらいであったという異常な厚遇ぶりだったそうです。
そしてその検閲の責任者の一人は、東京大学教授で、後にGHQ承認の下で戦後NHK初代会長に就任した人物だとか。この人物は、コミンテルンに所属した鈴木安蔵が中心になって結成した「憲法研究会」の結成呼びかけ人でもあったそうです。
現在皆さんが良くご存じの「反日」マスコミは、支那や朝鮮寄りのスタンスに見えはしますが、実はGHQ(米国)とのお付き合いが最初で、共産主義親和のスタンスの素地を作ったのはGHQ(米国)であったのだということ。
というのもGHQ法務部長のカーペンター大佐、民政局長ホイットニー少将やケーディス大佐たちはフランクフルト学派のマルキストだったそうなのです。彼らが戦後の日本改造・解体の中心を担っていたのでした。そしてその最たるものが日本国憲法であり東京裁判史観なのですね。

検閲によって言論統制が敷かれた訳ですが、結局何が行われたかというと、若狭先生の言葉をお借りすると日本人の言語空間(思考世界)が支配された、ということなんです。
ことばが、語彙が、思考や情緒を作る。その人の世界観や人格の形成に関わってきます。
これはとても大切なことで、とても大変な事態だったのです。

以下の記述が今の日本を言い表していると思います。

日本人を消すために「東京裁判」のシナリオは構想されたのである。そのシナリオの原本を「日本計画」という。そして日本人はヘナヘナになり今日の「日本人」として日米安保盲信のアンポンタンな生態系に生きている。
(中略:御本を出版されて各地から講演の依頼が来たということが述べられています)
鞭を入れて語ったことは戦後の日本人を縛っている自己像の歪みについてである。
人間は自己像に奉仕するように行為する存在である。
自己像が駄目になればその人物は必ずゆがんだ自分になる。
このことは、心の世界の問題で、その人の読解能力や理解力、思考能力の優劣、その他さまざまな能力とは関係の無い問題なのだと感じていることでした。
占領政策をしかけたのは米国であり、その元にはマルクス主義であるのですが、これが定着してしまった現在の日本に於いて既にこれは内政問題であり、更に私たち一人一人の認識がどうであるかという問題になっていると思うのです。
認識をどう正すかは、私たちの心の扱い方にかかっています。

人間というものは悲観的なものであれ、楽観的なものであれ、妄想や幻想を持って生きています。またこれは出来る・出来ないといった思い込みの制限を自ら設定していたりします。それは感情が「過去にこうだった」とか思考が「(将来)もしこうなれば」といった教訓や備えを横からささやくことで強化されていくものです。こういったものを手放すためには内観が必要なのですが、私たちには自我があるので、自我とそうでないものという境界を設定しています。ゆえに私たちの目に見える世界は自分の外側の世界ということになり自分の外側で起こることの原因は外側にあると信じています。さらに物事に対して「善・悪」「優・劣」といった相対する価値を与える思考の両極性の世界の中で生きているので、悪や劣と判断したものを排除してしまおうとしてしまいます。

例えば近隣諸国に脅威を感じ日本の将来を想像して恐怖や不安を感じている人がいるとします。
感じていることを自覚していても、善悪二元論の両極性の思考の中では恐怖や不安、怒りのようなネガティブな感情は排除されるべきという判断をしていまいがちです。
否定したり無視しようとした感情や思考は拡大してしまいます。これを打ち消すためには更に大きな否定や強固な無視をしなければなりません。そして原因を外側に見出そうとするので、近隣諸国の脅威がなくなれば日本は平和になるという発想が生まれます。そしてその人は自分が感じた恐怖心や不安を支那・朝鮮批判といった怒りに転換させているとしたら・・・
それは一見、日本を良くするための「行動」のように見えて、実はその人自身の感情に「反応」している状態になっているかもしれません。
もちろん支那や朝鮮の日本への行いが悪くないということではないのですが、私は、これが恐怖心や不安を打ち消すための格好の材料になってはいませんか?という問いを投げかけたいと思います。内観が出来なければ、感情に振り回されて落ち着いて物事の本質を見ることは難しくなってしまうものです。

自分の心の中を見る、というのは本当に難しいものですよね。
洗脳のような一旦植え付けられたものを自分で気が付いて認識を改めるということはとても難しいです。
若狭先生は日本人へのロボトミー手術という表現をなさっていますが、
日本が日本であるためのエッセンスが私たちの自己像から取り除かれてしまっている、そのことに気が付けなくなっている。
だから、日本は大変な事態に陥っているのだと思うのです。

ちょっと話がややこしくなりましたが、外側の問題に対処することと同時に
もっと大切なこと、それは私たち一人一人の認識と自覚なのだということを少しでも伝えることができたらと思った次第です。

2011年2月7日月曜日

薬になる!今月の旬の野菜

薬になる!今月の旬野菜
「初物」を食べると七十五日長生きする。といわれるように、その土地で育った四季折々の旬のお野菜を食べて、みんな、ますます元気もりもり!

薬用野菜①小松菜
小松菜はおもに関東地方で昔からよく食べられてた野菜です。今も東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県など首都圏を中心に栽培されています。
もともと小松菜の栽培が始まったのは、東京都江戸川区ですが、現在では足立区や葛飾区、八王子市、立川市、府中市、武蔵村山市などで毎年たくさん生産されています。
小松菜はとても寒さに強い野菜です。気温が氷点下になり、霜が降りても凍って枯れてしまうことはほとんどありません。
更に暑さにも強いので家庭菜園にも向いていると言われています。
日当たりに注意すれば、とっても手軽に誰でも家庭栽培を始められますよ。
小松菜は、貧血や風邪の予防に良いと言われており、さらに肌荒れや高血圧予防、ガンの予防にも役立っています。
また、骨粗鬆症の予防にも効果を発揮してくれるので、とくに女性は多く摂取しておきたいものです。
美味しく食べるには、お雑煮やお鍋など冬の献立に合わせると小松菜本来の味が生きてきます。
さらに、クリーム系やバター系の洋風料理にも良く合います。

(月刊「みんなのうけひのもり」1月号「薬になる旬野菜」より一部抜粋。続きは月刊誌で♪)

毎月、月刊誌では、日本伝統の旬の野菜も御紹介しています♪月刊「みんなのうけひのもり」ご購読はコチラからできます。

2011年2月6日日曜日

資料室 - 日本国憲法

資料室に日本国憲法の条文を置きました。

この日本国憲法を見て驚くのは、英語版があるということです。六法全書にも掲載されているほどなので、英語版も日本語版も正だということでしょう。どちらも憲法制定時に官報に掲載された正式な文書だそうです。
まるで2国間で取り交わされる条約のような体裁です。

日本国憲法が公布されたのは、日本がまだ占領状態にあったときですが、占領状態=日本の主権が制限されているときに、果たして憲法を制定できるものでしょうか?
そう考えると日本が自主的に制定した憲法ではないだろうということが容易に想像がつくと思います。

日本国憲法に関して論じるときは、英語版も併せて読まないといけないかもしれません。

資料室 - 日本国憲法
http://jiritsusaisei.blogspot.com/p/blog-page_06.html

資料室 - 日本の「典」と「憲」

さまざまな憲法に関する議論があります。憲法を改正しよう、このまま守ろう、あるいは自主憲法を制定しようというものなど、政党の政治的な提案や新聞社の提案をよく目にします。

聖徳太子の作った憲法十七条はやまとことばでは「いつくしきのりとをあまりななをち」と言いますが、「いつくしきのり」とは「厳かな規範」というような意味です。

長い間、日本では憲法は國體法を指し示すもので、文化的あるいは伝統的な側面と技術的な側面を規定したものと考えられてきました。歴史的な時間という軸に、その中で育まれてきた文化や精神という軸、そして技術的な規定としての規範という軸によって織りなされた立体的な構造を、文章として平面に投影したものが、一般的に言われる成文憲法ということになります。
このような観点からみれば、自主憲法はすでに存在していることになりますし、「厳かで変えてはいけない」ものと、時代や環境の要請によって変更される「技術的な部分」とを混同して議論し、伝統的・文化的側面を無視し、技術的側面だけを見て、条文をいじって改正する、白紙にして作り直すということは容易にできるものではありません。

日本の長い歴史の中で、神々の御神勅、天皇の御詔勅、天皇の御製や万葉集などで表現された精神や感性など、日本人が掟として、あるいは手本として尊重してきたものがたくさんあります。それらが日本を日本たらしめる、日本人を日本人たらしめることに関わっています。
そういったものを知っておくのも、日本が日本であるため、日本人が日本人としての自己を認識する一助になるのではないかと考え資料室を作りました。
憲法に関して考えるときに活用していただければと思います。

資料室 - 日本の「典」と「憲」
http://jiritsusaisei.blogspot.com/p/blog-page.html

2011年2月5日土曜日

「日本人が知ってはならない歴史」

「日本人が知ってはならない歴史」の著者 若狹 和朋氏の自己紹介~歴史講座(?)。
教科書では決して教えられない日本の近代史。
企んだ人達↓
http://congresswakamiya.web.fc2.com/index.html


2011年2月4日金曜日

君が代について考える

私が「君が代」を初めて教えてもらったのは、小学校の時の音楽の時間でした。
音楽の先生が、「賛否両論あるけれど、国歌を歌えないのは恥ずかしいから。」と言って一回だけ教えてくれました。何だかこっそり神妙になって教えてくれたような記憶があります。

行事で流れることはあっても、一回で覚えられるわけがなく、その後父が何かの時にすっごく上機嫌で教えてくれたことがあって、まあ行事の度に歌うように心がけてやっと歌えるようになったというところです。

本日はこのように国歌なのにどこか余所余所しい思い出のある君が代について考えてみます。

君が代の出自には諸説ありますが、
「歌詞の出典はしばしば『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)とされるが古今集のテキストにおいては初句を「わが君は」とし、現在採用されているかたちとの完全な一致は見られない。「君が代は」の型は『和漢朗詠集』の鎌倉時代初期の一本に記すものなどが最も古いといえる(巻下祝、国歌大観番号775番)。(wikipediaより)
だそうです。

他にも元の元は万葉集の挽歌だという説や、九州王朝時代を期限とする説もあるようですが、賀歌として庶民に親しまれ、江戸時代初期の流行歌「隆達節」にも唄われたとか。

この「隆達節」というのは日蓮宗の僧侶、隆達が創始した江戸時代の流行歌。
ボストン美術館には隆達自身の描いた屏風があるそうです。

六曲一双の屏風に、遊里の情景が描かれ、最初の第一首が『君が代』の歌詞と同じ歌で始まり、
[一面]
おもいきれとは身のままか誰かはきらむ恋のみち
雨の降る夜の独り寝はいずれ雨とも涙とも
[二面]
人は知るまじ我が仲を頼むぞ側の扇も帯も
この春は花にまさりし君持ちて青柳の糸乱れ候
[三面]
花を嵐のちらすような雪に袖うち払ひ誰かおりやらうぞの
悋気(りんき)心か枕な投げそ投げそ枕に咎はよもあらじ
[四面]
月もろともに立ち出でて月は山の端に入る我は妻戸に
そなた忍ぶと名は立ちて枕並ぶる間もなやの

と続くのだとか。
うーん、ラテン系にも劣らぬ情熱的なおうた!!

「遊里で歌うような恋歌を国歌にだなんて、何とはしたない!!」
なんておっしゃる有識者の方々も残念ながら中にはいらっしゃるようですが、遊女に惚れこんで多額の資金をつぎ込んで結婚を果たした人もいますし、そのための身請けというシステムも確立していました。

人は恋をして家族を作ります。

生命体が、細胞という基本単位から成り立っているのと同じように、国家は家族という基本単位からできています。

だから国家と書くのです。


君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

君とずっと一緒にいられますように。
小さな石が大きな岩となって苔がむす、その先まで、この時が続きますように。

恋歌と考えた時の意訳ですが、愛しい人への想いが、国家への想いと繋がる。
こんなに短い歌で、大事な事を表現している国歌、なかなかないですよね。
1903年にドイツで行われた世界国歌コンクールで1位受賞するという名誉は伊達じゃないです。

2011年2月3日木曜日

節分祭に行ってきました

本日は大國魂神社(おおくにたまじんじゃ/東京都府中市)にて節分祭が行われていたので、行ってきました。


ちなみに大國魂神社の鳥居は、御影石製では日本一と言われているそうです。神紋は菊の御紋。




節分に神社へ行くのは、実は初めてです。
やはり初詣や他のお祭りと比べて人は少ないですね。
旧正月や豆まきは地味なんでしょうか?平日と言う事もあるのでしょう。

境内では某戦隊の方々やどらえもん、ミス府中等の方々も参加され、力強く豆を投げておりました。(特にブルー)


また、大國魂神社には神楽殿があります。

神楽が奉納されておりましたのでしばし見物。後で調べてみた所、
江戸里神楽 山本頼信社中(やまもとよりのぶしゃちゅう)」による里神楽で、国指定重要無形民俗文化財になっているそうです。








今までなら通り過ぎていたと思いますが、祭祀などを意識しだすと興味が湧くものですね。

皆さんも近くの神社について少し調べてから行ってみると、新たな発見があるかもしれません。

自尊自立のための家庭の医学

これから数回に分けて、病気やからだのことについて少し考えてみたいと思います。

健康に気を遣ってる方って結構多いと思います。
雑誌やテレビでこの食べ物が○○に良いという情報などには何かと敏感になったりしますよね。
でも病院に行ったときなどは、質問しようにも何を聞いたらいいか分からない、訊ねてみたけれど先生の言うことは分かったような分からないような・・・うーん。
まぁ専門的なことはお医者さんにお任せしましょう。
そんなかんじで自分には専門的すぎて理解できないだろうという思い込みから、いろいろな勘違いをしていたりすることってあると思います。


19世紀初めまでは、医学にも5つの流派があってそれぞれ共存していたといいます。

1. ナチュロパシー
  自然療法
  食事療法を中心に自然に任せた生き方や食べ方をして体の自然治癒力を取り戻そうとする療法。このナチュロパシーを行うところでは現在アロマテラピーやインドのアーユルヴェーダやホメオパシー、フラワーエッセンスなど様々な療法を取り入れているようです。

2. オステオパシー
  いわゆる整体のような手技を用いて、体のゆがみを取る事で自然治癒力を引き出すもので具体的には骨格のバランスの調整、脳脊髄液の流れの調整、内臓の活性化などを行います。

3. サイコパシー
  心理療法(サイコセラピー)
  教示・対話・訓練などを通して行動や認知に変容をもたらし、心の問題を取り除く事によって心身の健康を維持増進しようとするものです。

4. ホメオパシー
  同種療法
  「ある症状を引き起こすものはそれと似た症状を取り除く」という原理をもとにその症状と似た状態を引き起こす物質を極限まで薄めたものを摂る事によって自然治癒力を刺激し、かかりきれずにくすぶっている症状を押し出すという療法です。

5. アロパシー
  逆症療法 いわゆる現代医療
  下痢をしたら下痢止め、痛い時は痛み止め、などの投薬や悪いところは切り取るなどにより症状を抑える、取り除くことで症状が無くなる事を治癒とする療法です。



始めから見たい方はコチラ↓(ガン治療のウラ 1/8)
http://www.youtube.com/watch?v=fS4qhZE0P5Q


ほんの200年くらい前までは共存していたこれらの流派が現在では1.~4.は下火となり、あまり一般には知られていません。
下火になったのは、医学として間違っているからなのか?
これらの療法は、エセ、非科学的、気のせい(プラシーボ効果)、トンデモなどと頭ごなしに批判されることがあります。
しかし現代医学では匙を投げられてしまった患者さんが医師が説明が出来ない「奇跡」などと呼ばれる回復をすることがあります。
これを「例外的」「奇跡」で片付けてしまい、なぜそうなったのかを追究しようとしない態度が果たして科学的であると言えるのでしょうか。

どの療法も医学であり、それぞれに良い点と限界があるのだと思います。
(個人的には大まかに、症状を抑える手法と、症状を自然治癒力の働く過程と見なすか、の2つに分類されると思っています。)
5.のアロパシーも救急のケースや外傷による外科治療、症状が激しすぎて著しい体力の消耗や生命の危機にある時に一旦症状を抑えるという点で非常に有効な医学です。
ただ現代はアロパシーに偏り過ぎている気がします。アロパシー以外ご存じない方の方が多いのでは?と思います。
病気とは悪いもので、私たちに苦しみだけを与えるものなのでしょうか?
病気と闘うのが正解なのでしょうか?

その答えは1.~4.の療法の中にあるのではないかと思います。
古代ギリシャの「医学の父」と呼ばれるヒポクラテスは「人間が病気になるのも、自分自身を修復するのも自然の働きであり、病気を治すのは患者自身が本来持っている自然治癒力である」と言いました。(『ヒポクラテス全集』より)
まずは食事。食べるものと、その食べ方ですよね。その食べた物で私たちの体が出来ている、細胞が作り換えられているのであれば、一番最初に見直すのは食事ではないかと思います。
またホメオパシーは病気と闘いませんし、症状を抑えることもしません。どうしてそうなるか、という根本原因を気にしながらも、「こうやったらこうなりました」というのを積み重ねていった経験医学とでも言うべき側面が大きいです。
病気は気が病むと書きますから、心の問題も凄く影響を与えていることは容易に想像が付きます。そういう場合は、心と体を切り離しては病気は治りません。
人間は生きている以上歪みが生じます。なぜなら、肉体という有限のものの中に、生命力という無限性のものを閉じ込めた存在だからです。物質の集合体が生命体として動いていることを科学で説明しきれないのはなぜでしょうか。まだそこまで科学が発達していないからでしょうか。それならば自然科学も唯一絶対の万能のものではないはずですよね。

どんなことにも当てはまると思いますが、大切なことは、自分は「知らないことがある」ということを知ること、得た情報を自分の直観で選別することだと思います。
正しいのか間違ってるのかを突き止めることが目的ではなく、健康に生きるための知恵を学ぼうということです。選択肢は多い方がいいですよね。直観と呼べるほどの確信はないけど、これは正しいように思うと感じるから・・・試しに少しやってみようかなぁ?とかそんな程度でいいと思うのです。
ですので、お薬にばかり頼らずに病気を治すには、本当に健康になるためには、という観点から少し体のことについて勉強していきたいと思います。
よろしければお付き合いください。