2011年3月30日水曜日

ソ連は火事場ドロボーである

「ロシアは北方領土を返還した方がいい」というような論調がロシアの新聞にあると報道されましたが、ロシアにいる人の話を聞く限りでは、「人々はすでに北方領土はロシアのものだと思っているので関心がない」、「そんなことを本気で考えるわけがない」というのが実態だといいます。
国益に直接関係する領土ですから、日本に同情して返しましょうということにはならないでしょう。

今回は、そのロシア(当時はソ連)について書かれたものの一部を紹介します。
この本はとてもわかり易く書かれていますので、手に入る方は是非読んでみることをオススメします。(ちょっと内容が古いですが)


ソ連は火事場ドロボーである


 日米安保条約を解消すべきか、継続すべきかについて日本国内が二つに分裂して論争しつつあるから私の考えを述べておきたい。
 昭和二十年八月のことを顧みると、ソ連が日ソ中立不可侵条約を一方的に破って、日本攻撃を開始した日が、その九日(日本時間)だ。当時、日本は広島、長崎に原爆攻撃を受け、とうてい原子力に対抗する力のないことを知り、意気沮喪して戦闘精神を失い、近衛文麿公を通じてソ連に講和の仲介を求めつつあり、実際またアメリカの爆撃飛行機を射ち落とすべく舞い上がる戦闘機が日本にはほとんどなくなっている当時の現状を知っての上での、ソ連の火事場ドロボー的な侵入であったのである。
 ソ連がなぜ、日ソ中立条約を結んで、「日本がアメリカやイギリスと戦っている間は、ソ連は中立を守って日本を決して攻めません」という約束をしたかというと、ソ連は当時ドイツを攻撃する準備を整えつつあったので、「ソ連が他国(ドイツを含む)と戦争をしている間は、日本はソ連を攻めません」という約束を日本から取り付けるためであったのである。このような目的で、このような条件で、日ソ中立条約が結ばれ、そのご予定通り、ソ連は”ヒトラー・ドイツ”と戦闘を交えた。ところがヒトラー軍隊の優秀なる戦闘力に押しまくられてソ連は、レニングラードの八十パーセントまで一時ヒトラー軍に占領せられ、もう一押しでソ連国家崩壊の危機に面したのである。
 当時日本は、日独伊三国軍事同盟が結ばれていたので、「日ソ中立条約』が結ばれていなかったら、この三国間の軍事同盟が自然的に発動して、日本は満州からシベリアへ進撃し、ヒトラー軍と共にソ連を挟み撃ちにしていたはずで、そうなっていたら、ソ連国家は地球上から姿を消していたかもしれないし、そうでなくとも世界の地図は大いに書き換えられていたかもしれないのである。ところが日本は条約に対して忠実で、ソ連がドイツ軍に敗戦して窮状に陥っているのを衝こうとしなかったのである。
 「窮鳥ふところに入れば漁師もそれをとらず」という諺が日本にあるが、それが日本精神であった。日本は戦争をするにも国際的道義を守った。それは剣道や柔道の試合に敬虔に相互礼拝してから立ち会う形式にもあらわれている。ソ連が窮地に陥っている最中に、日本は「日ソ中立条約」を守ってソ連に攻撃をしかけなかったのである。
 ところがソ連は、日本が原爆攻撃を受けて窮地に陥り、ソ連とは中立条約を結んでいる国であるからとソ連を信頼して、日米講和の仲介者となってもらいたいと頼み込んでいるのに、ソ連にもし日本人的武道者の狭気があるなら、日本へ斬り込んで来られるわけはないのに、ソ連にとっては「条約は当座の便宜的戦略」であって、当座の便宜が終わったら条約など破棄して平気でいる国であるから、「いよいよ日本弱し、ほとんど抵抗力なし」と見たら中立条約を破って侵入して来たのである。そしてエトロフ、クナシリ、ハボマイ、シコタン等を、一方的条約破棄行動によって占領して今に至も返還しないどころか、日本にその潜在主権すらも認めようとしないのである。それは火事場ドロボーがその盗品の所有権を主張して返還しないのと同じで、ソ連とはそのような国なのである。

『占領憲法下の日本』の第一章、日米安保は是か非か(谷口雅春著)より


「窮状に陥ったときにとどめを刺すようなことをしない」という感覚は確かにあるかもしれません。でも世界は非情で冷徹です。当時のソ連の指導者も非情で冷徹な人でした。


ソ連にとっては「条約は当座の便宜的戦略」であって、当座の便宜が終わったら条約など破棄して平気でいる

こういうところからも学ぶことができます。

日本も似たようなことを過去にしています。
大東亜戦争の後、中国共産党を正式な政府として認めた日本政府は、中華民国(台湾)との間に結ばれた日華平和条約を一方的に無効にしています。
今回の震災で、台湾の人々は義援金をたくさん送ってくれましたが、国家としてはこの時に台湾を切り捨てたわけです。

事情が変わったので条約を破棄したわけです。

ソ連はドイツとの交戦状況やヤルタ会談の結果をもって、日ソ中立条約を締結したときとは事情が変わりました。
日本も占領体制に置かれる中で、中国共産党を正式な政府として認める(認めないわけにはいかない?)状況になり事情が変わりました。

「ソ連は火事場ドロボーだ、けしからん!」は「日本が可哀想だから北方領土を返す」ということを喜ぶのと同じで、情緒的な反応だと思います。

軍事的にという意味だけではなく、もっと強い国になって、タフな交渉や取引ができるようになるといいなと思います。

そのためには、この占領(憲法)体制ではいけません。

過去に何度か日本国憲法(占領憲法)の無効性について書いていますが、憲法としては無効な日本国憲法を、講和の条件として締結した条約の一種として見れば、事情が変わったという理由で破棄(部分破棄)できると考えることもできます。
戦後、日本は連合国体制を資金面で多大な支援をしています。世界の戦争や災害の復旧にも自衛隊を派遣しています。いつまでも「戦争を起こした悪い国」という誤ったレッテルを貼られて黙っている道理はありません。

また、食料やエネルギーを他国に依存していてはいけません。

大東亜戦争は、基幹物資の供給を絶たれて窮地に陥った日本が選んだ道でした。
非情で冷徹な国際社会では、いつ、日本に対して食料やエネルギーを止めてやろうという勢力が現れないとも限りません。
災害や紛争によって、食料やエネルギーの供給源が壊滅的な打撃を受けることだってあり得ます。
軍備があっても、食料を止められる、エネルギーを止められるだけで、日本は戦うことすらできなくなるのです。

本当に強い国、道義心を持った国。
そのために日本人が団結する。
そういう流れになることを願います。

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