2011年8月17日水曜日

パール判事の日本無罪論

わりとよく読まれてる本ですね。 
パール判事は極東軍事裁判で起訴された日本人全員の無罪を主張した人です。 
靖国神社にも碑があります。


毎年お盆の時期になると、いわゆるA級戦犯に関する議論などを目にします。
あれは裁判じゃない、違法だ無効だという話。
判決を受諾したのであって裁判を受諾したのではないと、誤訳を指摘する声も多いですね。

記憶している限り、このような話はずっと前から聞かされていて、ずっと前から言われていることの内容に変化がありません。
状況が変わっていないことは確かなようです。
私たちは何をしたいのでしょうか?

判決の受諾か裁判の受諾か、は大きな問題ではありません。

極東軍事裁判は裁判の名を借りた見せしめです。
言論統制とこの見せしめで文句が言えない、歯向かえない状況を作るためのショーです。
この見せしめを甘んじて受け入れる、そしてこの後に行われる日本国憲法への改正を受け入れることがセットで講和の条件です。
もう逆らいません、連合国のなすがままになりますと約束したから講和に至ったわけです。
日本国憲法にそう書いてありますよね「もうしません」「すべてお任せします」って。

前に進むためには、極東軍事裁判の位置づけと現在の私たちの立ち位置を認識しておく必要があるのではないでしょうか。
極東軍事裁判は裁判として無効ですから裁判ではありませんが講和の条件として有効です。
効果がありましたから。

日本国憲法は憲法として無効で講和条約として有効です。
律法行為的にも違反が多く無効ですし、実効性のない部分も多いので無効です。
施行されたときの形式も国際系の条約のようでした。(官報には英語と日本語のものが存在した)

どちらも敗戦から講和までに到る文書、その他の条約や憲章、国際情勢などにリンクしています。
ですので、国内に限定した事項ではありません。

A級戦犯は戦後に国内的には名誉が回復されていますが、国際的な名誉回復は達成されていません。
日本は日本国憲法(占領憲法)体制下で連合国秩序を他律的かつ自律的に維持してきました。
そのような状況下で「A級戦犯は戦犯ではない」と国内的に言えて、私たちがそう思っても、占領された(占領憲法が憲法だとされている)状態で、外国からは懲罰的な論理が(国連憲章など)が通用しています。
なので「A級戦犯は戦犯ではない」という思いは、自己完結型の論理としては正しいとしても、国際的には正しくないということです。
国際的に正しくなくてもいいと開き直っても構いませんが、国際的な関係の上に作られた「ありもしない罪を着せられた人々」なのですから、国際的な関係を無視するのは少し乱暴ではないでしょうか。

このような体制を後生大事にしてきたこれまでの日本人は反省しなければいけないのではないかと思います。
極東軍事裁判を無効だと言いながら、日本国憲法は無効だと言わない二重基準がまかり通っているように見えますから、まだまだ現状認識も反省も十分ではないのかもしれません。
愛国心も日本人の誇りも英霊への感謝もあったものではありません。
占領体制に組み入れらたまま、そこから出ようとしていないのですから。

こういう現象が起きるのは、日本国憲法に目を向けたくない勢力の情報操作があるからだと思われます。
愚痴を言わせてガス抜きさせ、本質論をさせない。 
よくある騙しのテクニックです。 
東京裁判史観を捨てろ、戦後レジュームからの脱却なんて言ってる人たちの中には、実際は日本国憲法体制を維持したい、あるいは堅持したいと思っている人が相当数いるようです。

前に進むには日本国憲法無効宣言、帝国憲法復原し実情に合わせて改正、講和条約としての日本国憲法の部分的破棄通告、サンフランシスコ講和条約の部分的破棄通告、国連体制の変革の働きかけとそのための外交。そんなことが必要ではないでしょうか。
憲法の問題は、皇統、原発、基地、領土、年金、相続、少子化、教育など多岐に影響を与えていますから、急がなければ日本が日本ではなくなってしまいます。

日本は、敗戦というものを受け止め、理不尽ながらも連合国の要求を受け入れ、戦争は終わった、いつまでもくよくよせずに、もう一度良い日本を作ろうと再出発したわけです。
歴史に学ぶことは大切ですが、終わったことを「あれが悪かった」「これが悪かった」というのではなしに、「こうしよう」という方向に力を使いたいものです。

票に結びつかないので政治家のみなさんは憲法に対して無関心かつ不勉強です。
そんな政治家を動かすのは私たちです。
政治家に求める前に私たちが変わらなければなりません。

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