2011年9月4日日曜日

強い農業とは、命を支える農業とは何か。

以下リンク先は「現代農業」平成23年8月号に掲載されていたトピックです。
書き出したものなので数字表記、漢字等細かいところで原文とは違うかもしれませんがご了承ください。

TPP推進派の「新自由主義的震災復興」のシナリオとは

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ー強い農業はどっち?
TPP推進論者がよくいう「強い農業・漁業」とは何だろうとよく考える。今回の大震災は、はからずもその答えを明瞭に示してくれた。冒頭紹介した中村さん夫妻は、その後、本当に安全で消費者が食べてくれるものができるかどうか、不安を抱えながら耕し、タネを播いた。
同じく郡山市の三穂田地区で集落仲間と稲作生産組合をつくり、六〇haを経営する高田善一さんは五月、例年だと否応なく張り切る時期なのに、今年は何とも気合いが入らない、と悩みながらトラクタに乗っていた。秋、本当に食べられるものができるのか、何より放射性物質が降り積もった土地に作物を植えてもいいのだろうか、それを考えると、好きな酒も飲めない、仕事の後一杯やるのが仲間の楽しみだったが、あの三月十一日以来、誰もが飲もうといわなくなった、と語る。高田さんは稲作のほか乳牛を八頭飼っている。乳を搾るだけでなく、田んぼに入れる堆肥を手に入れるためにも牛は欠かせない。その牧場からもセシウムが出た。五月半ば、ぼくはふらっと彼を訪ね、作業場で待っているとトラクタで帰ってきた。牧草をすき込んできたのだという。「切ないですね」というと、「切ないね」といった。
それでもみんな耕し、タネを播き、田植えをした。なぜと高田さんに問うた。中村さんと同じ答えが返ってきた。「百姓だからね。休むと百姓でなくなる」。
タネを購入し、肥料をまき、燃料代を消費して機械を動かす。自分の労働力は計算に入れなくても結構お金をつぎ込んでいる。そうして作った作物が食べられるものになるか、ぼくにもわからない。それでもみんなタネを播いた。
こんなことが効率と利益を上げなければならない企業農業にできるのか。もとが取れないかもしれないリスクを負う企業などあり得ない。小さい農家は別の論理、別の価値観でつくり続け、食べる人のいのちを支えてきた。大震災後の今もそうしている。消費者にとって、都市の人間にとって大切なのは、そんな小さいけれど、きちんとつくってくれる農業なのだということがわかってほしいと中村さんや高田さんと話しながらつくづく思う。TPPが潰すのは、こうした「強い農業」なのである。大震災の復興過程の中で、それをまったく別の「強い農業」に置き換えようという動きが日ごとに強まっている。
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引用以上

大野氏の言う「強い農業」「命を支える農業」とは、小さい農家の価値観、論理とは何でしょうか?

大きな会社で限られた仕事を細分化、専門化して作業していると、全体が見えなくなりがちですね。
自分の仕事が最終的にどうなるか見届けない事も多々あります。

様々な仕事を細分化、専門化、効率化して都会の生活は成り立っています。

エネルギーに関してもそう。原発は電気を作るところと使うところに大きく分けるという構造ですね。

今回の震災は、図らずしもその問題点をあぶり出してくれました。
お金があっても、必要なものが手に入らない、そういう状況は現代日本でも起こり得ること、頭ではわかっていても改めて実感した人は多かったのではないでしょうか。

自分達の手の届く範囲で、生活に必要なものを入手出来る構造が重要です。
百姓とはよく言ったもので、百の事が出来る人でないと百姓は務まりません。

利益を効率よく上げる農業ではなく、そして何も農家だけの話ではなく、一人一人がある程度完成された百の事を出来る地域づくりが、強い農業の基盤なのではないかと思いました。

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