2011年9月5日月曜日

農産物貿易の自由化が許されない理由

こちらからの転載。
http://www.ruralnet.or.jp/gn/201104/tpp.htm

農産物貿易の自由化が許されない理由

関 良基


自由貿易を礼賛する言説を新聞やテレビで振りまく経済学者はウソを言っている。百歩譲って工業製品の自由貿易は可能でも、農産物は自由化に適さない。農産物、とりわけ穀物の生産を海外に依存することは、生産者と消費者の双方に著しい打撃をもたらす。

WTOからTPPへ――米国の世界戦略

農産物と工業製品では財の性質が全く違う。工業製品に関しては、労働基準や最低賃金、環境基準の国際的な適正化、国際的な独占禁止などの諸条件が整いさえすれば自由貿易を認めることも可能であろう(現実はその条件が整っていないので認められない)。しかし農産物(とくに穀物)に関しては、いかなる条件においても決して自由貿易の原理を当てはめてはならない重大な理由が多く存在する。最大の理由は、農産物の不足が人間の生命を直接的に脅かすことだ。

WTO(世界貿易機関)においてすら、農産物は工業製品とは別のカテゴリーに分類され、農産物には暫定的に高い関税率が認められるなど、不十分とはいえいくばくかの配慮はなされている。しかるにTPPにおいては、農産物も工業製品も全く同列に扱って、例外なく関税を撤廃せよという。しかも輸入国側が一方的に関税の撤廃を強いられるのに、悪名高いアメリカの輸出補助金制度は不問にされる。WTOにおいてすら、アメリカの輸出補助金制度は不公正と非難され削減を求められているにもかかわらず、である。TPPにおいては万事米国主導でルールが作られるから、米国にとって都合の悪いテーマは除外されるのだ。

米国の戦略は、途上国の発言権が高まる中でWTOを自国に都合のいいようにコントロールできなくなってきたことから、TPPという自国主導の新たな枠組みの中で恣意的にルールを設定していこう、こういう目論見なのであろう。このような米国主導の身勝手な枠組みに丸裸で日本が飛び込むことは自殺行為以外の何物でもない。その自殺行為の推進を叫ぶ日本のマスコミが常軌を逸していることは、本誌の読者には多言を要しないだろう。

自由貿易を信仰する経済学のウソ

自由貿易を礼賛する新古典派経済学の枠組みでは、農産物も工業製品も同列に扱って論じ、自由貿易は貿易する双方の国の厚生水準を高めると主張する。これはウソである。百歩譲って工業製品は自由化可能な財であるとしても、農産物は自由化に適さない。環境面など多面的機能が損なわれるという点のみならず、農産物は需要面でも供給面でも、自由貿易には全く適さない性質を多く持つ。

数多くの論点の中で本稿では、農産物に対する需要特性が、貿易自由化に適さないことを明らかにしたい。通俗的なミクロ経済学(=新古典派経済学)の教科書は、貿易自由化が「消費者利益になる」と記述する。しかるに貿易自由化のメリットに関しては「これでもか」というくらいに記述されても、その何倍もあるデメリットに関しては全く記述されない。「新古典派経済学という学問は、『市場万能教』を布教するための、科学を装ったカルトだ」と言われる所以である。

農産物と工業製品の違い
――農産物は供給量のわずかな変化で価格が乱高下

農産物と工業製品とで大きく違うのは、価格が変化したときに需要がどの程度変化するのかという変化率である(需要の価格弾力性と呼ばれる)。

339ページの図には、2つの財の需要関数が書いてある。どちらかが農産物でどちらかが工業製品である。どちらがどちらか、少し考えてみていただきたい。

昨年後半から今年にかけて、穀物の供給不足の懸念によって2008年以来、再び穀物価格が急上昇している。工業製品はこのように急激に価格が乱高下をすることはない。これは二つの財の需要曲線の形が違うことに起因する。

――そう、垂直に近い(1)の曲線が農産物である。数量がわずかでも変動すれば、価格も大きく乱高下するのがわかるであろう。なだらかな(2)の曲線が工業製品である。

農産物(とりわけ穀物)の価格は、少し生産がダブついただけでも急落するし、わずかでも欠損が生じれば急騰する。人間の胃袋の大きさはほとんど変化しないので、価格が変化しても需要量に大きな変化は出ない。値段が高かろうが安かろうが、人間が必要とする食料の総量はほぼ決まっている。逆に言えば、需要曲線は垂直に近い急な傾きになる(=価格弾力性が低くなる)。したがって供給量のわずかな変動で価格が乱高下することになる。

それに対し工業製品は、食料と違って生きていくための必需品ではないので、価格の変動によって需要は大きく変化する。高ければ買わない、安ければ買われる量は増大するということになる。貿易を自由化すれば価格の低下によって伸縮的に需要が伸びていくので、製造業メーカーは大きな利益を得ることになる。

農産物の貿易自由化は生産者も消費者も苦しめる

生活必需品である食料はこうはいかない。貿易を自由化したところで国際的に農産物の需要量が急に大きく増えることはない。価格は急落するのに、需要は伸び悩み、結局苦しむのは生産者である。多くの農家が廃業に追い込まれた後、今度は供給が不足すれば価格が高騰し、消費者が苦しむ。とりわけ世界の貧困層を飢餓地獄に追い込む。安定的に供給することが何よりも大事な農産物にとって、この価格変動の激しさは、自由化の是非を問ううえで致命的な欠陥である。

価格が急落すれば、消費者は喜ぶが、農家が貧困にあえぎ生活できなくなる(今まさに日本の米農家がそうなっているように)。逆に価格が急騰すれば、農家は喜ぶが、今度は消費者の生活が破壊され、飢餓に至る(今まさに途上国の貧困層を直撃しているように)。この価格の不安定性は生産者と消費者の双方にとって莫大なリスクをもたらすのである。しかるに投機家にとっては、価格変動こそ一獲千金のチャンスとなる。ゆえに農産物市場には投機資金が流入しやすく、ただでさえ変動しやすい穀物価格をさらに乱高下させる。

ゆえに、農産物、とりわけ穀物においては、消費者と生産者の双方が著しい打撃をこうむることのないよう、国が介入して生産を調整し、価格を支持する必要があるのだ。

たとえ価格が下がっても飢餓のリスクは高まる

農産物貿易自由化論者は、自由化のほぼ唯一のメリットとして、食料価格が安くなり消費者の利益になるという主張をする。しかし、それは大きな間違いである。今後、日本、中国、インドなどの大消費国が穀物自給率を下げ、アメリカ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチンなど少数の大輸出国に穀物依存度が集中していけば、リスクは飛躍的に高まっていく。そのうちの一国でも不作になれば、穀物価格はすぐに高騰するようになる。その結果苦しむのは、先進国と途上国とを問わず、世界中の貧困層なのだ。

たとえば次のようなケースを考えてみよう。自由化の結果、30年間のうち28年は食料品の価格が自由化前の半分程度に安くなり、残りの2年間は価格が自由化前の3~5倍にも急騰したとする。価格の平均値を取れば、自由化後は30年平均で67~80%となり、平均値のみ見れば、今より安いということになる。経済学者は、「平均価格が下がったから消費者余剰は高まった」などというかも知れない。

しかし30年中28年間は利益を受けていたにせよ、残りの2年間で貧困者は食っていけなくなり、下手をすれば餓死に至る。その2年間で多くの人々の生命活動が停止に至れば、残りの28年間利益を受けていたとしても、そんなことは全く無意味であろう。農産物は安いときに購入して買い置きしておくことなどできない。これも工業製品と農産物の特質の大きな違いなのである。

メキシコ農業の教訓

2008年、多くの発展途上国において実際にこういうことが起こった。その悲劇は、今年もふたたび繰り返されようとしている。

メキシコのケースを見てみよう。メキシコの主食は古代マヤ文明以来トウモロコシである。トウモロコシの原産国であり、人類にトウモロコシという作物の恵みを与えてくれたのはメキシコの先住民族である。そのトウモロコシの母国には、1994年に発効したNAFTA(北米自由貿易協定、アメリカ・カナダ・メキシコの3カ国で締結された自由貿易協定)によって、アメリカから大量の輸出補助金付きトウモロコシが安値で流入するようになった。アメリカからの輸入トウモロコシは、NAFTA発効前の1992年には130万tであったが、2007年には790万tと6倍にも増加した。マヤ文明以来のトウモロコシ作地帯であるチアパス州では「NAFTAは先住民族にとって死を意味する」との声明を発した先住民族の反乱も発生した。

米国のシンクタンク・カーネギー国際平和財団は、2003年の報告書で、NAFTAはメキシコの製造業に50万人の雇用増加を生み出したが、逆に農業部門で150万人の雇用喪失をもたらし、国全体として雇用の増加にも賃金の増加にも結びつかず、多数の農民から土地を取り上げ、森林破壊、自給作物の衰退と輸出用商品作物への転換による化学物質汚染など、環境破壊を助長したと結論した。

メキシコでは、製造業の雇用は50万人増えているが、その分の雇用は米国で失われている。そして離農したメキシコ農民は結局、200万人に上ったと推定される。この中には流浪してアメリカに流入した者も多かったが、国境を越えると「不法移民」のレッテルを貼られた。アメリカはメキシコに「関税」という国境措置の撤廃を強いながら、その結果としての移民に関しては国境による差別を崩さない。

メキシコ政府は、国内生産者にこのような犠牲を強いてまで、米国の口車にのせられて「消費者利益」のために主食を米国に依存するようになった。しかしブッシュ政権の始めたトウモロコシのバイオエタノール化計画と、それにつけこんだ投機資金の流入によってトウモロコシ価格が高騰した2008年、今度はメキシコの消費者が深刻な栄養不足と飢餓に直面することになった。

失業の増加と賃金下落と農民の土地喪失と環境破壊と飢餓、これが農産物と工業製品の一律自由化の帰結である。農民のみならず、労働者にも雇用の不安定化と賃金下落という深刻な打撃を与えるのだ。この教訓はTPPには活かされようとしていない。このメキシコの教訓は日本にとって他人事ではない。

荒廃した農地は簡単に回復しない
失われた命は蘇らない

新古典派の経済学者は、「輸入食料の価格が高騰すれば、国内生産が再び競争力を持つようになるのだから、また国内で生産を再開すればよいではないか」と言うかもしれない。しかし、いちど耕作地が放棄され、農地が荒廃すれば、簡単に元通りにはなりはしない。仮に三年かけて生産が回復したとしても、その間に失われた命は蘇らない。新古典派は、タイムラグがなく生産が瞬時に調整され、また、あらゆる事象は可逆的であるという非現実的な仮定に基づいてモデルを構築している。実際には、とくに農業の場合、生産を再開するための調整には時間がかかるのであり、その間に生じる餓死は不可逆現象なのである。

(拓殖大学准教授)


日本は原発事故によって多くの農地を失いました。外国からの農産物の輸入が増えることになりそうです。日本に対して市場開放圧力が高まるかもしれません。これまでもあの手この手で日本市場を開放させようとする力が働きましたし、それを受け入れる、あるいは推進するような政府の動きがありました。

生活必要物質、食料、水、エネルギー資源、に関しては、自国の自給率を高めることは、国防上もっとも重要です。
政治が当てにならないと思ことも多いです。
どうやって身を守るか。
政治を当てにせずに何ができて、何を政治に求めるか。
真剣に考えて、やれることをやらなければならない時を迎えたと思います。

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