2011年8月23日火曜日

よくある嘘〜「日本の全面降伏」と「天皇主権」

大東亜戦争で日本は全面降伏した、戦後、天皇主権から国民主権に移行した、などと言う人がいます。
本当にそうでしょうか?


大東亜戦争において、日本はポツダム宣言を受諾して戦闘を停止しました。 
ポツダム宣言では「全日本国軍隊の無条件降伏」(第十三項)を要求し、その目的のために「連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、吾等の茲に指示する基本的目的の達成を確保するため占領せらるべし」(第七項)としていました。これは、日本軍の武装解除などの目的のために、日本の一部の地域を占領し、その地域内における統治権を制限する事を限度とする「一部軍事占領」の趣旨であり、日本の国土全部を占領し、日本の統治権自体の全部の制限「完全軍事占領」を意味するものではありませんでした。 

ところが降伏文書では、日本が武装解除して抵抗できないことをいいことに、占領軍は「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するために適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」として、ポツダム宣言第七項に違反して完全軍事占領を行ったということになります。 

『フランス一九四六年憲法』には、「本土の全部もしくは一部が外国軍隊によって占領されている場合は、いかなる改正手続きも、着手され、又は遂行されることはできない。」と規定されていますが、これは当時、普遍の法理として理解されていたものです。 

日本国憲法への改正は、この軍事占領下で行われている=日本が主権を持っていない状態で行われたのであるから、改正するという行為そのものが無効だったわけです

脅して契約してもいいなら、いくらでも脅して契約ができてしまいます。
刃物で脅して乱暴をしておいて、それが双方の合意の元に行われましたって言っても、誰もそんなものは有効ではないと思いますよね。犯罪でしかありません。 

無法行為の結果の日本国憲法が有効だとして、日本国憲法で採用された国民主権によって、憲法を改正する、または自主憲法を制定する(全部破棄全部改正)ということは、脅して作られた契約書の契約が有効だとして、それを書き直すのと同じ行為です。 


日本国憲法への改正で昭和天皇にこう言わせています。

「言う事を聞かなければ日本全土を火の海にする」という趣旨の、まるでどこかの独裁国家の将軍様のような脅しがあった状況下でのものです。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」 

前文ではこう書いています。 

「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」 

ここから、帝国憲法から日本国憲法への改正は、天皇主権から国民主権に変わったのだという嘘を東大の憲法学者が言うわけです。今でも「日本は立憲民主制の国である」などと学生に教えているのを見ました。 
戦前には統治のための主権という概念はありませんでしたし、それを主張するのは一部の西洋かぶれの学者ぐらいでしたから、天皇主権という言葉が使われているだけでも眉唾物です。 

この時、GHQによって日本の国会議員の多くがが公職追放され、一切のGHQへの批判は検閲され、選挙に介入し、時には脅して、憲法改正に着手したことを公にせずに、GHQに意に沿う人のみで帝國議会の憲法審議・議決に至ったわけです。 
陛下に「日本国民の総意に基づいて」などと嘘を言わせている。 

「ここに主権が国民に存することを宣言」としていますが、この憲法改正が行われたときの主権者はGHQ最高司令官です。これも嘘ですね。 

統治権の主体は国体から、占領によりマッカーサー主権となり、その後、日本国憲法に書かれているような国民主権という変遷をしたことになっていますから、天皇主権から国民主権に移ったということはまったくありません。 主権という概念すら日本の統治にはありませんでした。

このような嘘を広まった理由は、戦後、日本国憲法の制定といういかがわしい行為を正当化するためにGHQが行った宣伝と、それに迎合した学者たちの保身です。
憲法学者、歴史学者、政治学者たちは明らかに嘘をついているんですね。 

意図的にやってるわけですから極めて悪質です。
「日本の無条件降伏」「天皇主権」「国民主権」なんていう人がいたら、「それは事実ですか?」と追求してみてください。

国体=先祖代々受け継がれてきた知恵や経験から抽出された法(規範)を、マッカーサーの一存で、あるいは今生きている国民の多数決で、勝手にいじれるようにしましょうというので、これまでのご先祖様達の苦労はなんだったんだろうということになってしまいます。

日本国憲法は「共産主義者の下手な作文」だと言われていたそうですが、国民主権という先祖代々の法の無視、家族よりも個人を重視、義務や責任よりも権利や自由を重視、そういった日本国憲法に持ち込まれた概念は、伝統を否定し個人個人をバラバラに秩序を崩壊させます。共産主義革命と同様の効果をもたらします。

まさか、自分が共産主義革命を達成しようなどとは思ってもいない人がほとんどだろうと思いますが、日本国憲法には必然的にそうなってしまうという地雷が仕掛けられていると思っていいかもしれません。
現に、そういう傾向が今の政治状況に現れていますよね。


戦争には負けたけれど、日本人でなくなったわけではありません。
正しいものは正しい、間違っているものは間違いだと、勇気を持って主張したいものです。
日本人としての誇りを持つということはそういうことではないかと思います。





ポツダム宣言と降伏文書の全文はこちらにあります。

2011年8月17日水曜日

パール判事の日本無罪論

わりとよく読まれてる本ですね。 
パール判事は極東軍事裁判で起訴された日本人全員の無罪を主張した人です。 
靖国神社にも碑があります。


毎年お盆の時期になると、いわゆるA級戦犯に関する議論などを目にします。
あれは裁判じゃない、違法だ無効だという話。
判決を受諾したのであって裁判を受諾したのではないと、誤訳を指摘する声も多いですね。

記憶している限り、このような話はずっと前から聞かされていて、ずっと前から言われていることの内容に変化がありません。
状況が変わっていないことは確かなようです。
私たちは何をしたいのでしょうか?

判決の受諾か裁判の受諾か、は大きな問題ではありません。

極東軍事裁判は裁判の名を借りた見せしめです。
言論統制とこの見せしめで文句が言えない、歯向かえない状況を作るためのショーです。
この見せしめを甘んじて受け入れる、そしてこの後に行われる日本国憲法への改正を受け入れることがセットで講和の条件です。
もう逆らいません、連合国のなすがままになりますと約束したから講和に至ったわけです。
日本国憲法にそう書いてありますよね「もうしません」「すべてお任せします」って。

前に進むためには、極東軍事裁判の位置づけと現在の私たちの立ち位置を認識しておく必要があるのではないでしょうか。
極東軍事裁判は裁判として無効ですから裁判ではありませんが講和の条件として有効です。
効果がありましたから。

日本国憲法は憲法として無効で講和条約として有効です。
律法行為的にも違反が多く無効ですし、実効性のない部分も多いので無効です。
施行されたときの形式も国際系の条約のようでした。(官報には英語と日本語のものが存在した)

どちらも敗戦から講和までに到る文書、その他の条約や憲章、国際情勢などにリンクしています。
ですので、国内に限定した事項ではありません。

A級戦犯は戦後に国内的には名誉が回復されていますが、国際的な名誉回復は達成されていません。
日本は日本国憲法(占領憲法)体制下で連合国秩序を他律的かつ自律的に維持してきました。
そのような状況下で「A級戦犯は戦犯ではない」と国内的に言えて、私たちがそう思っても、占領された(占領憲法が憲法だとされている)状態で、外国からは懲罰的な論理が(国連憲章など)が通用しています。
なので「A級戦犯は戦犯ではない」という思いは、自己完結型の論理としては正しいとしても、国際的には正しくないということです。
国際的に正しくなくてもいいと開き直っても構いませんが、国際的な関係の上に作られた「ありもしない罪を着せられた人々」なのですから、国際的な関係を無視するのは少し乱暴ではないでしょうか。

このような体制を後生大事にしてきたこれまでの日本人は反省しなければいけないのではないかと思います。
極東軍事裁判を無効だと言いながら、日本国憲法は無効だと言わない二重基準がまかり通っているように見えますから、まだまだ現状認識も反省も十分ではないのかもしれません。
愛国心も日本人の誇りも英霊への感謝もあったものではありません。
占領体制に組み入れらたまま、そこから出ようとしていないのですから。

こういう現象が起きるのは、日本国憲法に目を向けたくない勢力の情報操作があるからだと思われます。
愚痴を言わせてガス抜きさせ、本質論をさせない。 
よくある騙しのテクニックです。 
東京裁判史観を捨てろ、戦後レジュームからの脱却なんて言ってる人たちの中には、実際は日本国憲法体制を維持したい、あるいは堅持したいと思っている人が相当数いるようです。

前に進むには日本国憲法無効宣言、帝国憲法復原し実情に合わせて改正、講和条約としての日本国憲法の部分的破棄通告、サンフランシスコ講和条約の部分的破棄通告、国連体制の変革の働きかけとそのための外交。そんなことが必要ではないでしょうか。
憲法の問題は、皇統、原発、基地、領土、年金、相続、少子化、教育など多岐に影響を与えていますから、急がなければ日本が日本ではなくなってしまいます。

日本は、敗戦というものを受け止め、理不尽ながらも連合国の要求を受け入れ、戦争は終わった、いつまでもくよくよせずに、もう一度良い日本を作ろうと再出発したわけです。
歴史に学ぶことは大切ですが、終わったことを「あれが悪かった」「これが悪かった」というのではなしに、「こうしよう」という方向に力を使いたいものです。

票に結びつかないので政治家のみなさんは憲法に対して無関心かつ不勉強です。
そんな政治家を動かすのは私たちです。
政治家に求める前に私たちが変わらなければなりません。

お盆とお墓参りと

お盆で田舎に帰っています。

本当はお盆は魂がおうちに帰ってくるから、お墓参りしていいものではないという話もありますが、田舎に帰る=墓参りをする風習がお盆=お墓参りになったんでしょうね。

今回墓誌をずらっと見てきました。
宝永のころから続いていてびっくりしました。
私たちの代で13代目のようです。

私の友人は、このままいけば、1人で6つの家のお墓と土地を引き継ぐ事になるそうです。
それだけ、引き継ぐ人間がいないお墓や家、土地が増えているという事ですね。

誰も引き継ぐ者がいなくなった時に、そこは無縁仏になります。
無縁仏だらけの墓地、何かの終焉を彷彿とさせませんか?

国家の最小の基本単位は家です。
家がたくさん集まって村になり、町になり、地方になり、国家となる。

その「家」を引き継ぐものが少ない国家に未来はあるのでしょうか?
家を引き継ぐものが少なくなり過疎化した地方、特に沿岸部の防衛が甘くなるのは政治だけの責任ではない、そう思います。

2011年8月10日水曜日

プレスコードは生きている

JJ太郎さんのかつて日本は美しかったより転載です。

昭和20年(1945年)9月21日、大東亜戦争後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって書物、新聞などを統制するために発せられた規則「日本に与うる新聞遵則」(プレスコード)が発せられ、日本の言論は厳しく自由を制限させられました。以下の内容が調べられました。

・連合国軍最高司令官(もしくは総司令部、以下SCAP)に対する批判
・極東国際軍事裁判批判
・SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
・検閲制度への言及
・アメリカ・ロシア・英国・中国他連合国、朝鮮人、国家を特定しなくても連合国一般、満州における日本人取り扱いについて、それぞれへの批判
・連合国の戦前の政策に対する批判
・第三次世界大戦への言及
・冷戦に関する言及
・戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
・戦争犯罪人の正当化および擁護
・占領軍兵士と日本女性との交渉
・闇市の状況
・占領軍軍隊に対する批判
・飢餓の誇張
・暴力と不穏の行動の煽動
・虚偽の報道
・SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
・解禁されていない報道の公表

検閲は一般の手紙にも及び、日本人にやらせるのです。100通の手紙を検閲して、5通が怪しいといって提出すると残りの95通を別の人にやらせて、もしズルして隠したことが発覚するとクビにするのです。即刻クビですから食糧不足の時代ですから明日から食べるものがない。実に卑劣なやり方です。

広島の人なら峠三吉の詩「にんげんをかえせ」が発禁処分に処されたことをご存知の方もいるでしょう。終戦直後、アメリカの原爆投下を批判した鳩山一郎の記事がもとで朝日新聞は発行停止を喰らったことがあります。

プレスコードはよく見ると現代に生きている部分がありますね。「神国日本」などそうでしょう。政治家が「日本は神の国」と発言するとマスコミは大バッシングを始めます。学校教育やマスコミでは軍人の偉業を讃えるようなことはしません。テレビのニュースでは「我が国」「わが日本」というような表現はせず、「政府は」「政府与党は」という表現をしているような気がしますが、気のせいでしょうか。
2007年に安倍総理(当時)がインドに訪問して、チャンドラ・ボースの遺族に会ったことを報道しませんでした。インド独立を日本軍が支援していたからです。
NHKや朝日新聞は支那、朝鮮批判には控えめでしょう。”シナ批判禁止”は現在では日中記者交換協定というものに変化して批判がかけないようになっています。
以前、関門海峡で自衛隊の護衛艦と韓国船が衝突したとき、テレビニュースで大々的に報道しましたが、韓国側が全面的に悪い、とわかると報道を見事なまでにピタっとやめました。朝日新聞は犯罪を犯した朝鮮人は通名を使います。「北朝鮮」という呼び方も少し前までは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と長々しく書き、アナウンサーもそうしゃべっていました。「北朝鮮」と簡単に言えるようになったのは小泉首相(当時)に金正日総書記が、日本人の拉致を認めてからです。広島では北の核に極めて寛大でようやく最近になって批判が少しでてきたぐらいでしょう。

「シナ」と呼ぶと差別だといわれるでしょう。石原都知事がそうよんでマスコミからバッシングを浴びていたことを思い出します。シナは英語のチャイナと同じなんですが、それは差別といわれない。「中国」というのは周辺の民族を野蛮人扱いして「東夷」「西戎」(せいじゅう)「北狄」(ほくてき)「南蛮」とよび自分の国だけを高い位にして呼ぶときの自称の言葉です。「東夷」は日本が含まれます。これも昭和21年6月に公文書化されマスコミや学校から「シナ」の文字は消えました。(GHQというより中華民国からの要請) ほんとは日本が「中国」と呼ぶのはおかしいのです。

このように日本はまだまだGHQの呪縛から逃れていないのです。



参考文献
「GHQ焚書図書開封」西尾幹二著
「渡部昇一の昭和史」(続)渡部昇一著
「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト
WikiPedia「プレスコード」「日中記者交換協定」「支那の呼稱を避けることに關する件」


2011/02/26 動画が消去されていますので、こちらをご覧ください。
http://shupla.w-jp.net/datas/flash/FB_ipyou01.html


2011年8月3日水曜日

お盆のおもてなし

毎日蒸し暑い日が続いています。
気がつけばもう8月です。8月8日は立秋で、暦の上ではもう秋になってしまうのですが、立秋を過ぎればすぐにお盆がやってきます。


お盆は盂蘭盆会(うらぼんえ)の略語で、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものだそうです。「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味なんだそうです。お盆は、先祖や亡くなった人たちの霊が灯かりを頼りに帰ってくるといわれていて、祖先の魂を迎えることを目的としています。
 
わが国では、そのような仏教の行事的意味合いだけでなく、ご先祖様が命を繋げて下さったことで今の自分があるという感謝の気持ちを表す先祖祭祀の意味も併せ持っていると思います。仏教伝来以前から、祖先の霊を迎える儀式が存在しました。推古天皇(606年)の時代に行われた仏事の様式が現在のお盆の原型になったと考えられています。
 
お盆の儀式としては、迎え火をたき先祖の霊を迎え入れ、僧侶の読経で供養し、送り火で帰って頂くというような流れになっています。また地方色も豊かなようです。


お盆供養



必ずしもそのようなことをしなくても、お盆は亡くなった方やご先祖様の霊が帰って来るから、みんなでお迎えしておもてなしをする期間ですから、そのような気持ちを何かの形であらわしてみてはどうかな、と思います。
 
近頃はいろいろな職業や勤務形態があるので、お盆休みが取れなかったり、帰省が出来なくてお墓参りにも行けないという方もいらっしゃると思います。
 
そんなときは、部屋の中に盆棚に見立てたコーナーを作ってみてはどうでしょうか。
故人やご先祖様をお客様としておもてなしするための飾りです。その盆棚には桔梗や萩、ホオズキなどを飾ってお線香をたきます。キュウリやナスで作った馬や牛を飾ります。お花や故人の好きだった食べ物などを置きます。盆棚の下には供養してくれる家族のいない霊の為のお供えを置きます。
馬や牛は、ご先祖様の霊が訪ねてくるときの乗り物だそうです。キュウリの馬は、馬に乗って少しでも早く帰ってきて下さいという意味で、ナスの牛は、少しでもゆっくりとお帰り下さいという意味だそうです。ホオズキは迷わない為の灯りです。

盆棚

キュウリやナス、ホオズキにはこういった細やかな心遣いが込められているんですね。そうやって今生きている人間が亡くなった方を思い、今自分の生きているこの空間に、亡くなった方をお客様として迎え入れる、そして皆でご先祖様の思い出話をしたりと感謝を伝える気持ちがいちばん大切なように感じました。
 
 
 




2011年8月1日月曜日

大義〜第四章 神国の大理想

「養正ノ心ヲ弘メ、六合ヲ兼ネテ都ヲ開キ、八紘ヲ一宇トナサン」の 神武天皇の大宣言、「四方ヲ経営シ万里ノ波涛ヲ拓開シテ、天下ヲ富岳ノ安キニ置カン」の 明治天皇の大信念、共に共に神国日本建立以来の大理想なり。山川草木悉皆靡々として靡かざるなき 聖天子の真姿顕現こそは、人類救済の根基なり。八紘一宇の大理想実現の前に、先ず国に 聖天子の真姿顕現を計らざるべからず。これなくして何の神国、何の人類救済ぞ。 天皇に帰命し奉れ。然れども万人悉く 天皇に帰一し奉ることの困難なることは、ここに蝶々を要せず。各方面における権威者・枢機参画者にして、君臣一体の実を把握しあらば(その体験に厚薄深浅はあれ)、燎原の火の如く国内に瀰漫すること、換言すれば、その程度に厚薄深浅はあれ、万人万古 天皇を仰ぎ奉るに到ること明白なり。
否々、大楠公の笠置山における「正成一人だに生きてありと聞召さば、聖運必ず開かるべしと思し召し候へ」と奏上せることを思へ。一人にて沢山なり。一人だに大透徹しあらば、心火により悉皆焼了し終らんのみ。身は是れ神国、心は是れ大御心、脚根下是れ高天原、神想具現に聖旗を進めん。
「四海ノ内誰カ朕ガ赤子ニアラザル」また「罪アラバ我ヲ咎メヨ天津神、民ハワガ身ノ生ミシ子ナレバ」の歴代 天皇絶対無限の大慈悲は「一切衆生成仏せずんば我正覚
(一)をとらじ」の法蔵菩薩の四十八の大誓願となつて現われ、将又十字架上における「キリスト」の贖罪の悲願となり、人類救済こそは、歴代 天皇の念願にして、肇国の大理想なり。
釈尊もキリストも孔子もソクラテスも 天皇の赤子なり。八紘一宇顕現の機関的存在なり。世界を救うて 天皇國となすこと実に 皇民の大使命なり。この聖戦途上鉄火に焼かるゝ何の恐るゝ所ぞ。元来 皇國に領土なし。現在の国土は 皇威の及べる地域のみ。
(或は曰く「四囲皆敵なり、内騒ぐ時に非ず」と。 天皇精神発動に依る戦争は領土拡張に非ず、人類救済なり。皇威を冒涜するもの内外共に敵賊なり、共に滅すべし。)
皇國元来無一物、人類各々その所を得て安穏なれば、 皇國皇民の大使命は終んぬるのみ。国各々真の平和を得て、永く其の慶を楽めば、 皇國の大理想は了したりといふべし。世界一家の達成は 天皇道に依るあるのみ。我國體こそは宇宙最高の道徳否宗教なり。世界を救い得る唯一無二の大真理なり。国号「日本」を三思せよ。「太陽」を国旗となす大信念を省察せよ。 天皇を「天津日嗣」と申し奉る、正に千省万思せよ。皇國の大理想自ら明かなるべし。

    橘曙覧先生歌

   一、 一日
(ひとひ)生きば一日(ひとひ)心を大皇(おほぎみ)
                 みためにつくす我が家のかぜ

   二、 大皇の勅
(みこと)にそむく奴等(やつこら)
                 首引き抜いて八
(や)つもてかへれ

   三、 大皇にそむける者は天地
(あめつち)
                 入れざる罪ぞ打つて粉
(こ)にせよ

   四、 国汚す奴
(やつこ)あらばと太刀(たち)抜いて
                 仇にもあらぬ壁に物いふ

            (昭和一一、八、二五)



杉本五郎中佐遺著「大義」はこちらで全文を読めます。
http://binder.gozaru.jp/taigi.htm




杉本中佐は八紘為宇の理想を実現するために生きるということを自覚されていた方だったんですね。たいていの日本人なら、ここに書かれていることは新しい知識として身につけるというよりは、思い出すような感覚で読めると思います。
是非、すべての章を読んでみてください。