2012年1月15日日曜日

大日本帝国憲法入門(16)番外編 女系天皇論と「天皇主権」「国民主権」

 こんばんは。今日は予定を変更して、「女系天皇論」として新たに噴出しつつある、国体破壊の「天皇主権」説、「国民主権」説を取り上げます。


 「天皇主権」説、「国民主権」説そのものについては、このブログでも何度もお話いたしましたが、これらの説はいわゆる「女系天皇」論と絡めて取り上げられていることが多いようですので、その危険性についてもう一度検証したいと思います。


 


 

 . 「天皇主権」説、「国民主権」説とは



 「天皇主権」説とは、天皇に、いわゆる「主権論」にいう「主権」が属する、という説です。


 同様に、「国民主権」説もまた、「主権」が国民に属する、という説です。そしてこの両説の危険性は、「主権」という概念に存在します


 「主権」とは、ある国家のあり方、すなわち国体を最終的、かつ完全に決定することのできる権利を意味します。


 これまでこのブログをお読み頂いていた方はご存知と思いますが、このような「主権」は到底認めることはできません。国体というものは護持すべきものであり、またそれは誰か特定の人物や集団によって決定されるものではなく、無数の人々の様々な営みの中から培われてくるものであって、それは道徳や慣習、伝統や文化などにより規範づけられるものです。そして、このような国体を規範づける道徳や慣習などのことを不文憲法(法)といいます。


 不文憲法(法)とは国体を規範づけるものであり、国体を改変することは誰にもできません。従って、国体を改変(はっきり言えば破壊)する権限である「主権」は存在してはならないものなのです。


 よって、国民に「主権」が存在するという「国民主権」が不当であり、天皇に「主権」が存在するという「天皇主権」も同じく不当であると言わねばなりません。あらゆる「主権論」は国体破壊の謬説です。詳細は入門の入門「法の支配(立憲主義)」をご覧下さい。





 . 女系天皇論とその危険性



 さて、いわゆる女系天皇論が国体破壊の謬説であること、女系天皇と女性天皇の相違、などについては「皇位の男系継承と法」において解説致しました。女系天皇が我が国の歴史上ただの一人も存在せず我が国において男系継承が皇位継承における不文憲法(法)であるだけでなく、その性質上それが不文憲法(法)中の最高法規であることはいうまでもありません。


 いわゆる女系天皇論においては、かつては女系天皇が存在したと主張しています。そして、その中では女系天皇として挙げられている歴代天皇陛下もいらっしゃいますが、全てそのお父上方は皇族出身であり、女系天皇が存在するなどという説は完全なウソです。


 このような不文憲法(法)中の不文憲法(法)といえる「皇位の男系継承」を否定し、国体を破壊するものが女系天皇論です。



 


 「女系天皇論」は我が国の国体を破壊し、皇統を断絶せしめる特定のイデオロギーを持つものです。なぜ、このようなものが生まれ、どうすれば根絶できるのでしょうか。


 我が国の国体を表す不文憲法(法)というものをしっかり護持していかなければ、我が国は名称こそ同じ「日本」でも、あるいは「天皇」「皇室」が残ったとしても、それはもはや全く違うものになってしまうのです。


 左翼思想というものは、実に巧みに己を偽装し、どのような名称を借りてでも、己の目的を実現しようとします。「名を捨てて実を取る」とはまさにこのことです。「天皇」「皇室」などの言葉を用いていても、その思想の内容が左翼思想であれば、それは左翼思想に他なりません。


 「天皇」「皇室」などの言葉をちりばめた、しかし内実はそれらに対する敬愛の気持ちは一切なく、むしろ、申し上げるも恐れ多いことながら天皇陛下や皇室を傀儡とし、国体を破壊しようという思想、それこそが「天皇主権」であり、「女系天皇論」はその一種として噴出してきているのです。


 このような思想の猖獗の原因の一つには、我々があまりにも、我々の国体というものを意識せず、何でもかんでも新しいものはすばらしいもの、古いものは悪である、というルソー的理性崇拝に浸ってしまったからではないでしょうか。およそ国家というものには変えてはならないものがある、神聖な要素がある、そういう認識を持てば、数千年にわたる男系継承という「法」を易々と破壊しようなどという気持ちなど、夢にも浮かんで来ないはずです。


 女系天皇論には、このような祖先から継承したものは神聖なるものであり、祖先を崇拝し、感謝しようなどという気持ちが全く見られません。


 「古いものにとらわれるな、因習を打破しよう」このような言葉は一見進歩的で美しく聞こえます。世の中には確かに、意味のない陋習も存在します。しかし、それを天皇や皇室の如く、我が国の国体の中心にまします存在に対して考えを及ぼすほど、危険なことはありません。


 神聖なるものに対し、少数の学者や評論家らがあれこれと考えを巡らし、ああだこうだと結論をつけることほど身の程知らずなことはあるでしょうか?まさにそれこそは、こちらは「国民主権」以外の何ものでもないでしょう。まさにそれこそは、ルソーがやったこととどう違うというのでしょう。


 我々が今一度、我が国の国体を護持しようという保守思想に立ち返ること、すなわち、我が国の国体というものを再確認し、意識するようになれば、このようなものが出現する余地などなくなるのです。




 

 . 「承詔必謹」の正しい解釈



 さて、このように「女系天皇論」は学術的にも、一切の正統性、論拠を否定されたわけですが、『十七条憲法』には「承詔必謹」という言葉があります。


 「詔を承りては必ず謹め」とは、しばしば、天皇陛下のご命令であれば、如何なることであろうとも承服せねばならない、というように解釈されることがあります。


 確かに、恐れ多くも天皇陛下の詔であれば、それは謹んで承らねばなりません。当然のことです。ただし、これまで述べてきたように、法は「天皇といえども国体(に関わる不文憲法)の下にある」とするのです。申し上げるも恐れ多いことながら、万が一天皇陛下の詔が「不文憲法(法)」にもとるような場合には、これをお諌め申し上げるのが臣下たる者の責務です。



 

 「女系天皇論」においては、「皇室の事柄は皇室ご自身がお決めになるべき」として、皇位の男系継承か女系継承かを、恐れ多くも天皇陛下や皇族方のご決断に委ねようという意見も見られます。


 この意見は、皇室のことは国民が容喙すべきではなく、皇室ご自身がお決めになるべきであって、その結果がいかなるものであろうと承服すべきである、と「承詔必謹」を引用します。


 しかし、そもそも皇位継承については男系継承という法がすでに存在しているのです。法を改変(破壊)する権限は誰にもありません。改変しても無効です。従って、何も「お決めになる」必要などないのです。恐れ多くも天皇陛下におかせられては皇位の男系継承という法に則り、またそれを具体化した皇室典範に則り皇室の事柄をお決めになるのみであって、それを我々臣民は謹んで承るべきなのです。


 「女系天皇論」の解釈する「承詔必謹」からは、やはり国体についての尊重が完全に抜け落ちています。まるで我が国の天皇を、支那の専制君主の如き、憲法(国体)なき国家の君主と同視するかのようなとんでもない解釈であるとしかいいようがありません。まさしく、天皇主権説そのものです。


 このように、「女系天皇論」にはその表向きの主張とは全く裏腹に、支那の専制君主論の如き解釈や、ルソー的理性崇拝など、我が国の国体とはおよそかけ離れた思想的背景が大いに見られるのです。こんなものは、到底我が国のものではありません。歴史的にも、精神的にも、文化的にも我が国のものとはかけ離れたもの、それが「女系天皇論」です。



 これだけではありません。「女系天皇論」の「承詔必謹」には、更に大きな危険性があります。


 仮に、恐れ多くも天皇陛下や皇族の方々が、皇位継承についてご意見を表明されるようになったとしましょう。果たして、マスメディアによって伝えられるその「ご意見」は、天皇陛下や皇族方の「真意」を正確に伝えたものとなるでしょうか!?


 これについては、私は明白に、「否!」と言うことができます。日頃報道される政治家などの発言についての報道の仕方を見ていても分かるように、時にその一部分を切り取り、時に独自の解釈を交えて報道するなど、発言というものは如何ようにもねじ曲げて報道することは可能なのです。


 このような状態で、恐れ多くも天皇陛下や皇族方が何らかの発言をなさった場合、それが様々な形で利用されてしまうことは、もはや火を見るより明らかです。


 そしてひいては、皇室そのものが皇位継承を巡る論争に巻き込まれるというが如き、何が何でも避けねばならない事態を引き起こさないとも限りません。そのようなことは絶対にあってはならないのです。


 「天皇は統治すれども親裁せず」です。この不文憲法(法)は天皇主権をはっきりと否定し、併せて恐れ多くも天皇陛下や皇族方がこの種の論争に巻き込まれるような事態を防ぐのです。




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大日本帝国憲法入門(15)

 こんばんは。今日は第40条から始めます。(ω)




 

 40条 両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件二付各々其ノ意見ヲ政府二建議スルコトヲ得但シ其ノ採納得サルモノハ同会期中二於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス


(口語訳)両議院は法律またはその他の案件について、各々その意見を政府に対して述べることができる。ただし、採用されなかったものについては同じ会期中に再び述べることはできない。



 これも、『日本国憲法』には同旨の規定がないものです。両議院それぞれは、法案その他の案件について、その意見を政府(内閣)に対して述べることができます。政府が法案提出権を持っている半面として、帝国議会の側からも政府に対し、法案に対して意見を述べることができるということです。


 帝国議会と政府との間の、提出される法案などについての事前調整について定めたものということができるでしょう。


 また、三権分立に基づき、間接的に政府の法案提出などについて帝国議会の側から影響力を行使する趣旨でもあります。





 41条 帝国議会ハ毎年之ヲ招集ス


(口語訳) 帝国議会は毎年招集される。



 帝国議会の招集は天皇の大権に属します(第7条)。前回もお話したとおり、帝国議会は常設制ではなく、会期制を採っています。従って、招集という形式によって議会を開会し、会期の始まりとしているのです。





 42条 帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス必要アル場合ニ於テハ勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ


(口語訳)帝国議会は三ヶ月を会期とする。必要のある場合には、勅命によってこれを延長することができる。



 会期は期日の定めがないと、事実上常設制と変わらなくなってしまう恐れがあります。これを防ぐため、予め憲法中に三ヶ月との期限を定めたものです。これは法律によって定めても問題ない事柄といえます。


 なお、会期中に開かれる通常の議会を常会といいます。





 43条 1 臨時緊急ノ必要アル場合ニ於テ常会ノ外臨時会ヲ招集スヘシ


     2 臨時会ノ会期ヲ定ムルハ勅命二依ル



(口語訳)1 帝国議会が閉会中などの場合、緊急の必要がある場合には臨時会を招集することができる。


     2 臨時会の会期は勅命で定める。



 会期制の欠点は、議会閉会などの会期終了後において、議会を開会する根拠が失われてしまうことです。そこで、会期終了後、すなわち常会の閉会後に緊急の事情により議会を開く時には、これを臨時会として、会期制の例外として開会できるようにしたのです。





 44条 1 帝国議会ノ開会閉会会期ノ延長及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ


     2 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ貴族院ハ同時ニ停会スヘシ


(口語訳)1 帝国議会の開会、閉会、会期の延長、および停会は両院同時に行わねばならない。


     2 衆議院が解散された場合、貴族院も同時に停会せねばならない。



 両議院は一体となって帝国議会を構成しています。よって、一方のみが開会されたり、閉会されるなどということは両院の一体性を損なうことになりますので、これは禁じられています。


 また、衆議院が解散されている場合には、その活動ができないわけですので、貴族院もその活動をすることは帝国議会の一体性を損なうことになります。従って、貴族院はその間停会することになるのです。





 45条 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅命ヲ以テ新二議員ヲ選挙セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以内二之ヲ招集スヘシ


(口語訳)衆議院が解散された場合、勅命によって新たに議員を選挙し、解散の日から5ヶ月以内に衆議院を招集しなければならない。



 衆議院が解散された場合には、選挙後5ヶ月以内に衆議院を招集すべき旨を定めています。





 46条 両議院ハ各々其ノ総議員ノ三分の一以上出席スル二非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ為スコトヲ得ス


(口語訳)両議院はそれぞれその総議員の三分の一以上の人数が出席するのでなければ、議事を審議し、議決することはできない。



 両議院の審議や議決についての定数を定めています。出席者があまりにも少ない時には、その過半数の賛成があったとはいっても、議会全体の過半数を得たとは到底言い難いこともあります。そこで、この条文は総議員の三分の一以上の出席がなければ議会の議決とは認められない、と定めたのです。





 47条 両議院ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル


(口語訳)両議院の議事はその過半数で決定する。賛成、反対が同数である場合は、議長がそのいずれかを決定する。



 議事は前条のとおり、総議員の三分の一以上の人数が出席した上で、その過半数をもって決定します。


 賛否が同数である場合には、議長がその可否を決してよい、としているわけですが、伊藤博文は『憲法義解』において、「第73条の憲法改正の議事については例外である」旨を述べています。





 次回は、第48条から解説します。(ω)




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大日本帝国憲法入門(14)番外編 皇位の男系継承と「法」

 こんばんは。今日はまたまた予定を変更して、表題のテーマを取り上げてみたいと思います。(ΦωΦ)


 


 我が国が建国の古来より「法」(不文憲法)に基づく天皇の統治が行われてきた国家であることは、何度もお話いたしました。


 もちろんのこと、これらの「法」は依然として現在も我が国の不文憲法であり、神武天皇の御代から今上天皇陛下の御代に至るまで、我が国体は天壌無窮、これからも千代に八千代に変わることはありません。


 「法」(不文憲法)とは我々が祖先から継承してきた我が国の国体に関わる道徳や慣習、伝統や文化などの不文の規範を意味します。


 「法」(不文憲法)こそが我が国の最高法規であり、ゆえに「天皇といえども国体(に関する不文憲法)の下にある」のです。


 よって、いわゆる「天皇主権」説が虚偽であり、誤った採るべきでない説であることも、明らかです。


 つまり、天皇陛下の御聖断によっても、「法」(不文憲法)を改変することはできません。それは無効であり、まさしく「天皇主権」説の発想です。


 「法」(不文憲法)に反する一切の成文憲法、法律、勅令、命令、条約などは憲法違反であり、無効となるのです。


 いわゆる『日本国憲法』が「法」(不文憲法)に反し無効である、とはこのような意味です。


 以上のような考え方を「法の支配(立憲主義)」といいますが、なぜ、このような「法の支配(立憲主義)」が大切なのか、その根拠は、「入門の入門(5)法の支配(立憲主義)」以下をご覧下さい。


 さて、本題に入ります。皇位継承における「法」について考えてみましょう。





 

 . 皇位継承における「法」



 繰り返しますが、「法」(不文憲法)とは我々が祖先から継承してきた我が国の国体に関わる道徳や慣習、伝統や文化などの不文の規範を意味します。そして、これに反する一切の成文憲法、法律、勅令、命令、条約などは憲法違反であり、無効となるのです。


 当然のことですが、これは何も現代の事柄に限りません。過去に制定された歴史上の法令も、その対象となります。皇位継承の「法」に明らかに反する一切の法令は、無効となります。


 

 

 さて、神武天皇の御代より今上天皇の御代に至るまで、皇統は全て男系をもって継承されてきました(男系・女系の違いなどについては、大日本帝国憲法入門(2)を参照下さい)。


 歴史上、女系天皇は一人も存在しません。武烈天皇から継体天皇への皇位継承の例などに見られるように、皇位は、女系を断固排除し、いかにそれが遠縁であろうとも男系をもって継承することを本義としてきたことは誰一人として否定しようのない、歴史上明々白々たる事実です。「近い女系を排除し、遠い男系をもって継承する」ことが意識的に行われてきたのです。


 よって、皇位の男系男子継承こそ、我が国の国体に関わる不文の規範(「法」)であることは明らかなのです。


 皇統は「万世一系」であるといわれます。これはまさに、皇統が永遠に「一つの系統」すなわち神武天皇の男系をもって継承されることを意味しています。


 「女系天皇」は、この万世一系の否定に他なりません。


 この点において、天照大神が女性であることは問題とはなりません。皇位は神武天皇に始まるのであり、男系か否かも神武天皇に連なるか否かをもって判断されるものです。

 

 従って、皇位継承においては男系男子をもって継承することが「法」(不文憲法)であり、これに反する過去、現在を問わず一切の成文憲法・法律・勅令・命令・条約などは無効となります。


 繰り返しますが、天皇陛下の御聖断によっても、「法」(不文憲法)を改変することはできません。それは、「天皇主権」の発想であり、我が国の国体を破壊するものです。


 




 . 『旧』皇族の方々は、「法」の上では現在も皇族である



 皇位を男系のみをもって継承することは、当然ながら継承者の限定につながります。


 しかし、これは過去でも、現代でも同じことです。もしも現代において、皇位の安定的継承が危惧されるのであれば、皇位の男系男子継承の法に則り、速やかに旧皇族などの皇統に連なる男系男子に皇籍に復帰して頂くべきです。そうすれば、皇位継承に何らの危惧もなくなります。


 「法」(不文憲法)においては『旧』皇族の方々も、現在でも皇族です。過去にGHQの指令により皇籍から離れられようと、そのようなものに「法」を改変する力などありません。「法」に反する、無効の指令です。従って、『旧』という言い方は無効なものです。


 皇籍のない方々に皇位継承をさせるべきではない、などという考えは、我が国の国体よりもGHQの指令の方が上位である、という、まさに非常識極まる考えに等しいのです。天皇主権や国民主権の類いと同様、「GHQ主権」の発想です。


 『旧』皇族の方々も「法」の上では皇族です。皇位継承において最も大切な要件は、神武天皇の男系に属することです。現時点で世俗に暮らしておられることなどは、「法」の上では全く問題とはなりません。


 よって、『日本国憲法』下で問題となっている皇位継承の不安定化という事態も、「法」(不文憲法)に照らせば何の問題もなく解決できるのです。




 


 . 結語



 以上、簡単ですが、皇位の男系男子継承と「法」についてまとめてみました。


 皇位の継承について決定するものは、天皇陛下の御聖断でもなく、皇室の方々の意見でもありません。国会で制定される法律でもなければ、「国民の声」「世論」などという国民主権まがいの代物でもありません


 皇位の継承を決定するもの、それはただ、「法」(不文憲法)のみです。


 今一度、我が国古来の国体を表す「法」(不文憲法)に、我々は回帰し、それを再確認すべき時が来ているのです。


 次回は第三章 帝国議会の続きからです。(ΦωΦ)




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2012年1月10日火曜日

大日本帝国憲法入門(13)

 こんばんは。今日は第34条から解説します。




 34条 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス


(口語訳)貴族院は貴族院令の定めにより、皇族・華族・勅令により任命された議員によって組織される。



 貴族院の存在意義は前回お話したように、民選議院のみによる「多数派の暴走」を抑え、国体の下における自由が破壊されることを防ぐことにあります。


 国体の護持には、このような私利私欲に左右されず、大局から国家を考えることのできる立場にある「真のエリート」と目されるべき貴族による議院が必要なのです。議会の二院制は、このように貴族院と衆議院との組み合わせによってこそ、合議制と自由保障の要請を満たすことが可能なのです。


 そう考えるならば、『日本国憲法』の衆議院と参議院の二院制は、果たしてその要請を満たしていると言えるでしょうか?


 二院制の意義は、それが平民により選挙された民選議院と、貴族階級の互選により選挙された貴族院の組み合わせにより合議制と自由保障の要請を満たすことにあります。


 そうであれば、選挙方法が異なるとはいえ、双方が民選議院である衆議院と参議院の組み合わせには「多数派の暴走」を抑え、自由を保障する機能に乏しいと言わざるを得ません。


 『日本国憲法』には大日本帝国憲法に比べ、このような致命的な欠陥もあるのです。




 35条 衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス


(口語訳)衆議院は選挙法の定めにより、公選された議員により組織される。



 一方、衆議院は民選議院として国民の中の「多数派」により構成され、貴族院とともに帝国議会を構成しますが、その暴走により自由が破壊されないよう、貴族院による掣肘を受けることとなります。




 36条 何人モ同時ニ両議員ノ議員タルコトヲ得ス


(口語訳)どの者も、同時に両方の議院の議員を兼ねることはできない。



 このように、両議院はそれぞれその果たす機能や役割を異にしています。よって、これを構成する議員が重複することは、その趣旨を損ねることになります。それゆえ、貴族院議員と衆議院議員の兼職は禁じられているのです。




 37条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ得ルヲ要ス


(口語訳)全て法律は帝国議会の協賛を得なければならない。


 

 第5条とも関連する条文です。立法権は天皇にありますが、「天皇は統治すれども親裁せず」ですので、実際に法律を起草し、審議して可決するのは帝国議会です。これを帝国議会が法律を「協賛する」と言います。この協賛なく、天皇が自分で決めてしまったような法律は法(憲法)に反し無効となります。天皇の立法権は、専ら第6条の裁可や公布などにおいて行使されることとなります。




 38条 両議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各々法律案ヲ提出スルコトヲ得


(口語訳)両議院は政府の提出する法律案を審議し、それぞれ法律案を提出することができる。



 両議院は法律案を審議し、可決することで法律案を協賛します。協賛を得ていない法律案は法律となりません。そして、法律案は議院を構成する各議員はもちろん、政府にも提出権が認められています。




 39条 両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス


(口語訳)両議院のうち、片方において否決された法律案は、同じ会期においては再度提出して審議することはできない。



 会期とは、議会が開かれている期間のことです。議会の審議方法には会期制と常設制があります。常設制には議会での議論の常態化による政治の混乱などの弊害が一般的に指摘されています。そこで、一定の定められた期間だけ、議会を開いて審議することとしているのが会期制です。


 その限られた会期中に、一旦審議されて否決された同じ法案が何度も何度も提出されることになれば、議事は混乱し、円滑な審議は望めません。


 そこで、この条文は議事の円滑化を図り、審議の進行を守るため、一度否決された法律案を同じ会期中に再度提出することはできない、と定めたのです。これを「一事不再議の原則」といいます。


 実は、この「一事不再議の原則」は『日本国憲法』には定められていないのですが、『日本国憲法』下の国会審議においても守られています。帝国憲法の規定が現在でも生きて遵守されている、一つの例です。




 次回は第40条から解説します。( ω)




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大日本帝国憲法入門(12)

 こんばんは。(´ω)


 今日は、予定を変更して「国家主権」と『主権論』の主権の違いについて、お話したいと思います。


 というのも、これらを混同されている方々が意外に多く、ツイッターでお話されている時にも何だかぐちゃぐちゃになっている会話をたまに見かけるので、ぜひこの機会に知って頂ければと思うのです。


 政治や憲法について論じる上ではこれらの理解は不可欠と思いますので、やや概略的な説明ですが、お付き合い下さい<(_ _)>




.「国家主権」の意味の主権



 ややこしい話なのですが、日本語で「主権」という場合、3通りの全く違う意味の物事を指します。だから、しばしば話が混乱してしまうことがあります。



 一つ目。国家の「統治権」という意味。立法権・行政権・司法権の全てを包括して統治権と言います。


 いわゆる植民地や、保護国にはこの意味の「主権」はありません。植民地であれば通常は立法・行政・司法の統治権の全てを剥奪されているでしょうし、保護国であれば行政権のうち、外交を行う権限を剥奪されています。


 また、EUなどの国家連合では、これらの国家の統治権の一部をその国家連合に委譲して、その目的を達成しようとします。


 さらに、いわゆる関税自主権なども行政権に含まれるものとして、この意味の主権の一部をなすものです。


「我が国の主権は、北海道・本州・・・・・・などの島々に及ぶ」などという場合、ここでいう「主権」はこの「統治権」の意味の主権です。



 

 二つ目。国家の「独立性」という意味。他の如何なる存在の指揮や命令に服することなく、その統治権の及ぶ範囲で自由に法令を制定し、行政や裁判を行う力のことです。


 植民地や保護国には、この意味の「主権」もないのはお分かりですね。また、いわゆるEUなどの国家連合においても、この意味の「主権」が一部制約されているわけです。


 「我が国がサンフランシスコ講和条約により、主権を回復した・・・」などという場合の「主権」は、この「独立性」の意味の主権です。



 このように見ると、これら二つの意味の「主権」は重なり合う点も多いのにお気づきになると思います。そして、これらの主権を併せて「国家主権」と呼ぶこともあります。


 つまり、国家主権とは国家の統治権と、国家の独立性(独立状態でいる権利、力)の双方を表すというわけです。




.『主権論』の意味の主権



 三つ目の意味の「主権」は、前二者とは性質が全く異なります。これは、『主権論』の「主権」と呼ばれるものです。


 主権論とは、国家の中のある特定の人物、または集団や階層に、その国家のあり方を決定する完全で最終的な権利を与えてしまおう、というものです。


 主権論には三つあり、ホッブズにより提唱された「君主主権」、ロックにより提唱された「国民主権」、ルソーにより提唱された「人民主権」があります。


 しかし、これらの『主権論』にいう「主権」が不当であり、その存在を許してはならないものであることは、このブログで何度もお話してきました(『入門の入門 立憲主義(法の支配)』など参照)。


 このような国家のあり方(すなわち国体)を「決定」する、つまり破壊したり創造したりなどということは、その国家の成員に許されるものではありません。国体は祖先より継承してきたものであり、君主や国民のいずれもこれを破壊したり作り替える権限はないのです。


 これら『主権論』は全て国体破壊思想によるものであり、立憲主義(法の支配)に逆らう悪しき人定法主義に他なりません。詳細は当ブログ『入門の入門 立憲主義(法の支配)』などをご覧下さい。


 よって、この『主権論』の主権については、我々は断固としてこれを排撃、拒否せねばならないのです。同じ「主権」という言葉を用いていても、「国家主権」と「主権論の主権」にはかかる大きな違いがあります。




. TPPは国家主権の観点からも論じるべき



 昨今問題となっているTPPもこの国家主権が絡んでいますね。経済上の視点だけでなく、国家主権という観点からTPPを論じることも忘れてはならないのです。国家主権を失った国家は、国体を護持していくこともできず、滅亡に至るのです。


 この点は様々な角度から論じる必要があると思いますので、また後日に譲りたいと思います。




 次回は、第三章 帝国議会の続きから、またお話いたします。|ω)/




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大日本帝国憲法入門(11)

 こんばんは。今日から第三章 帝国議会の解説に入ります。




(1)国体と自由を護持する立憲主義(法の支配)



 言うまでもないことですが、帝国議会は天皇の立法権を協賛する機関です。よって、初めに簡単に、「」と「法律」についてもう一度解説します。詳細な解説をご覧になりたい方は、入門の入門「立憲主義(法の支配)」その他「法」について解説している箇所を参照下さい。


 まず、「法」と「法律」は、日常生活ではほぼ同じ意味として用いられていますが、保守思想の憲法学においてはこれらは全く異なるものであることを銘記しておいて下さい。


 すなわち、法とは私たちの祖先から永年にわたって継承してきた道徳や慣習、伝統や文化などの規範のことです。よって、これらは誰によって作られたか不明のものであり、不文法(文字で書かれていない規範)です。これら法の中で、特に国体に関わる重要な法のことを憲法といいます。つまり、憲法とは道徳や慣習などの不文法です。


 これに対して、法律とは例えば議会のような特定の人々によって構成される機関によって制定される規範のことです。よって、これらは制定した者が明らかであり、成文法(文字で書かれた規範)です。


 このように、法と法律とは相反する性格を持つものであることを頭に置いておいて下さい。


 そして、保守思想においては、憲法典(成文の憲法)や法律を制定するには、その上位の規範である法(不文の憲法)を斟酌し、それに反しないものとしなければなりません。国体を護持し、我々の自由を保持するものは我々の祖先から代々継承してきた道徳や慣習など、すなわち法です。


 従って、あらゆる憲法典、法律、命令、規則などの規範は法に違反して制定することはできず、法に反するものは憲法違反として無効となります。


 『日本国憲法』なるものが、法(国体に関する不文の憲法)に反し、憲法としては無効である、というのも、このような論拠によるものなのです。


 我が国の国体においては建国の古来より現在に至るまで、立憲主義(法の支配)による自由に支えられた天皇による祭祀と統治がその核心として厳然と存在しています。




(2)立憲主義(法の支配)に対立し、国体と自由を破壊する人定法主義(法治主義)



 このような先祖から継承した道徳や慣習などの法に則り、自由を保守して国体を護持しようとする立憲主義(法の支配)に対立する観念が人定法主義(法治主義)です。


 人定法主義とは、憲法典(成文憲法)や法律などを制定する時には、法とは無関係に制定することができ、たとえその内容がどのようなものであっても議会などの規範制定機関によって制定されたものであれば、それは憲法典や法律として有効である、という考え方です。


 道徳や慣習を破壊して「理性」による国家建設を目指す左翼全体主義国家や、かつての君主が専制的な権力を行使し、法律の制定権を専断的に行使していた専制君主国家では、このような人定法主義(法治主義)が採られています。


 そして、このように立憲主義(法の支配)を破壊して、立法者の専断的な意思のみで憲法典や法律を制定する力のことを、「主権」と言います。君主に主権があるものを君主主権、国民の多数決に主権があるものを国民主権(民主主義)と言います。


 憲法典や法律などの規範の内容がどんなむちゃくちゃなものであっても、制定する権限を持った者が制定してしまえば、有効となってしまうのです。


 ゆえに、君主主権や国民主権(民主主義)の下では立憲主義(法の支配)は破壊され、自由は消滅するに至るのです。


 我々は、断固としてこのような自由を破壊する全体主義思想である人定法主義(法治主義)とそれにつながる国民主権(民主主義)を拒否、否定し、国体と自由を護持する立憲主義(法の支配)を守っていかねばなりません。


 以下、「第三章 帝国議会」の解説に入ります。




(3)天皇の立法権を協賛し、国体の下の自由を保守する帝国議会



 第三章 帝国議会




 33条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス


(口語訳)帝国議会は貴族院と衆議院の両院で構成される。



 立法権を行使するのは天皇(第5条)ですが、「天皇は統治すれども親裁せず」が法です(第3条)。従って、実際に法案を審議し、可決するのは帝国議会であり、天皇はこれを裁可し、公布と執行を命じることでその立法権を行使します(第6条)。これをもって、帝国議会が天皇の立法権を協賛する、と言います。


 帝国議会は貴族院と衆議院の二院制で構成されています。法律はこの両院の可決をもって初めて協賛されます。そして、この構成こそが、正に立憲主義に基づく国体の下の自由を守るための配慮なのです。


 すなわち、衆議院は、ご存知のように選挙によって議員が選出されます。そして、法案は多数決によって可決されるのですが、留意せねばならないのは、これによって多数派の力だけが通ってしまい、少数派の自由が無視されてしまうという、国民主権(民主主義)と同様の弊害が現れる可能性があります。


 そこで、これを是正し、国体の下の自由を保守する機関が貴族院です。


 貴族院議員は、華族の中から互選されます。皇室の藩屏として私益によらず、国体護持に心を尽くすことのできる華族による貴族院は、衆議院による、ともすれば私益に走りがちで少数派の自由も顧慮しない審議による法案が協賛されることを防ぐことが可能なのです。


 こうして、貴族院は国民主権(民主主義)の弊害を抑える、いわば国体と自由を護持する砦としての役割を果たしているのです。


 

 このブログはこちらからの転載です → 大日本帝国憲法入門