2012年1月10日火曜日

大日本帝国憲法入門(12)

 こんばんは。(´ω)


 今日は、予定を変更して「国家主権」と『主権論』の主権の違いについて、お話したいと思います。


 というのも、これらを混同されている方々が意外に多く、ツイッターでお話されている時にも何だかぐちゃぐちゃになっている会話をたまに見かけるので、ぜひこの機会に知って頂ければと思うのです。


 政治や憲法について論じる上ではこれらの理解は不可欠と思いますので、やや概略的な説明ですが、お付き合い下さい<(_ _)>




.「国家主権」の意味の主権



 ややこしい話なのですが、日本語で「主権」という場合、3通りの全く違う意味の物事を指します。だから、しばしば話が混乱してしまうことがあります。



 一つ目。国家の「統治権」という意味。立法権・行政権・司法権の全てを包括して統治権と言います。


 いわゆる植民地や、保護国にはこの意味の「主権」はありません。植民地であれば通常は立法・行政・司法の統治権の全てを剥奪されているでしょうし、保護国であれば行政権のうち、外交を行う権限を剥奪されています。


 また、EUなどの国家連合では、これらの国家の統治権の一部をその国家連合に委譲して、その目的を達成しようとします。


 さらに、いわゆる関税自主権なども行政権に含まれるものとして、この意味の主権の一部をなすものです。


「我が国の主権は、北海道・本州・・・・・・などの島々に及ぶ」などという場合、ここでいう「主権」はこの「統治権」の意味の主権です。



 

 二つ目。国家の「独立性」という意味。他の如何なる存在の指揮や命令に服することなく、その統治権の及ぶ範囲で自由に法令を制定し、行政や裁判を行う力のことです。


 植民地や保護国には、この意味の「主権」もないのはお分かりですね。また、いわゆるEUなどの国家連合においても、この意味の「主権」が一部制約されているわけです。


 「我が国がサンフランシスコ講和条約により、主権を回復した・・・」などという場合の「主権」は、この「独立性」の意味の主権です。



 このように見ると、これら二つの意味の「主権」は重なり合う点も多いのにお気づきになると思います。そして、これらの主権を併せて「国家主権」と呼ぶこともあります。


 つまり、国家主権とは国家の統治権と、国家の独立性(独立状態でいる権利、力)の双方を表すというわけです。




.『主権論』の意味の主権



 三つ目の意味の「主権」は、前二者とは性質が全く異なります。これは、『主権論』の「主権」と呼ばれるものです。


 主権論とは、国家の中のある特定の人物、または集団や階層に、その国家のあり方を決定する完全で最終的な権利を与えてしまおう、というものです。


 主権論には三つあり、ホッブズにより提唱された「君主主権」、ロックにより提唱された「国民主権」、ルソーにより提唱された「人民主権」があります。


 しかし、これらの『主権論』にいう「主権」が不当であり、その存在を許してはならないものであることは、このブログで何度もお話してきました(『入門の入門 立憲主義(法の支配)』など参照)。


 このような国家のあり方(すなわち国体)を「決定」する、つまり破壊したり創造したりなどということは、その国家の成員に許されるものではありません。国体は祖先より継承してきたものであり、君主や国民のいずれもこれを破壊したり作り替える権限はないのです。


 これら『主権論』は全て国体破壊思想によるものであり、立憲主義(法の支配)に逆らう悪しき人定法主義に他なりません。詳細は当ブログ『入門の入門 立憲主義(法の支配)』などをご覧下さい。


 よって、この『主権論』の主権については、我々は断固としてこれを排撃、拒否せねばならないのです。同じ「主権」という言葉を用いていても、「国家主権」と「主権論の主権」にはかかる大きな違いがあります。




. TPPは国家主権の観点からも論じるべき



 昨今問題となっているTPPもこの国家主権が絡んでいますね。経済上の視点だけでなく、国家主権という観点からTPPを論じることも忘れてはならないのです。国家主権を失った国家は、国体を護持していくこともできず、滅亡に至るのです。


 この点は様々な角度から論じる必要があると思いますので、また後日に譲りたいと思います。




 次回は、第三章 帝国議会の続きから、またお話いたします。|ω)/




 このブログはこちらからの転載です → 大日本帝国憲法入門

0 件のコメント: