2013年2月8日金曜日

ココロのおうた、お詠みします (皇紀2673年2月8日)

私の名は安倍正行(あべのまさつら)。
人呼んで詠(うた)ふせぇるすまん。ただのセールスマンぢやございません。
私の取り扱ふ品物は「おうた(和歌)」、人間の心でございます。ホーホッホッ…。

この世は老いも若きも男も女も、心のさみしい人ばかり、そんな皆さんの心のスキマに和歌をお詠み致します。
いいえ、お金は一銭もいただきません。お客様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます。
さて、今日のおうたは…。

まごころの つたふよすがは やまとうた こころのままを ことのはにして 
(真心の 傳ふ寄す処は 大和歌 心の儘を 言の葉にして)


詠み人 安倍正行


本居宣長の石上私淑語(いそのかみささめごと)にもある通り、「もののあはれ」を知る私達の心を述べあらはすのが大和歌ださうです。
萬葉集や古今和歌集などに詠まれてゐる祖先の歌に触れる事で、その心を我が事のやうに窺ひ知る事が出来ます。
いくら時代が進まうとも、人の心の根本(本能・本質)は変はらないのです。
そして國語を解するならば、千万(ちよろず)の時を隔てても、祖先の心を今に生きる私達が知る事が出来ます。
この「一貫性」を私達は当り前の事だと思ひがちですが、これは世界的には稀な事であり、代々の祖先から護り伝へられた寶(たから)です。

しかし、この寶を寶と見るか、古臭い迷信や柵(しがらみ)だと見るか、これはその人の心の在り方次第なのです。
時代が進むといふだけで心の本質までもが進歩するといふ無根拠な盲信は心の在り方を惡しくします。
心惡しくなりぬれば、日月の光、草木の色、國や掟も、坊主も袈裟も、憎く見へるやうになるのは必然です。
北畠親房の神皇正統記にも同じやうな記述があり、これは今日の新聞でも社説や社會欄に同じやうな記述がありさうだと思ふのですが、本質的な問題点を的確に指摘してゐるのは神皇正統記の方でありますから、現代の私達の心の在り方は劣化(惡化)してゐるといへます。


にちげつも くにもおきても かはらぬも つねうつらふは ひとのこころぞ
(日月も 國も掟も 變はらぬも 常移らふは 人の心ぞ)

詠み人 安倍正行

今回は「やまとうた」「やまとこころ」に關聯した「心の和歌(在り方)」を二首詠ませて頂きました。

文法も解さぬ浅學の歌詠み(見習ひ)の私ではありますが、己の稽古も兼ねて「和歌のお題」の要望を受け付けます!

お題要望は以下から。
(この際に和歌を詠み添へて頂ければ、必ず採用させて頂きます!)

・ブログ「安倍屋38式」
 http://abeya38.tumblr.com/ ※「安倍屋への御意見御質問」から。
(アカウントのない方は「匿名で質問」選択し、本文に御名前(H/N)を)